冷戦終結の立役者ゴルバチョフ
まだ記憶に新しい名前であるはずの「ゴルバチョフ大統領」。正式にはミハイル・セルゲーヴィチ・ゴルバチョフ。1985年に旧ソビエト連邦の新しい書記長に53歳で就任しました。
ソビエト連邦とは、マルクス主義の共産主義国家を実現しようとするレーニンらによって1922年に設立された国家です。レーニンの死後は”20世紀最大の虐殺者”と言われるスターリンが半ば恐怖政治的な強権政治を行って強い国家を築き上げました。しかし、専制政治のため社会矛盾が噴出し、スターリン後はフルシチョフが民主化をしようとするも失敗。その後は、穏やかな社会主義を実現しようとするブレジネフの元で停滞の時代が続き、アンドロポフやチェルネンコという長老が書記長を引き継いだ後に登場したのが、若きゴルバチョフでした。
当時のソビエト連邦は、米ソ冷戦の中で、軍備拡張競争に莫大な金が使われ、経済は破たんし、そして犯罪が急増するなど、危機的状況に陥っていました。
ゴルバチョフ新書記長は大胆なグラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(政治・経済改革)を進め、米国レーガン大統領とのマルタ会談(1989年)で半世紀にわたった冷戦を終結させ、かつ東ヨーロッパ諸国の民主化も支持しました。
1990年には共産党の一党独裁をやめ、大統領制を導入し、自らがソ連邦の初代大統領に就任しました。同年、ノーベル平和賞を受賞したのですが、翌91年、保守派によるクーデターでクリミア半島で軟禁状態に置かれます。一家虐殺をも覚悟したそうですが、クーデターは失敗に終わります。ゴルバチョフはソ連共産党を解散し、ソ連は15の構成国が独立してソ連邦は消滅。実権はその中心国・ロシア連邦共和国のエリツィン大統領に移りました。
東西冷戦が戦争や流血の事態を最大限に抑止しながら終結し、かつての共産圏の国々も含めて世界に新たな秩序と安定をもたらすきっかけを作ったのはゴルバチョフであり、その功績は称えられるべきかと思います。
そもそもゴルバチョフがペレストロイカを始めようとする際に、親友であるチンギス・アイトマートフ氏(キルギスの世界的文豪)と交わした会話がアイトマートフ氏の証言で残されてあります。
それは1989年のことだそうです。アイトマートフ氏は呼び出されました。
当時はペレストロイカが未會有の民主的改革として脚光を浴び、もてはやされていた頃でしたが、水面下では、右からも左からも、民主派からも、党閣僚からも、見えざる不満と批判の声があからさまになり、強まってきていた時でした。国の経済が慢性的な低落傾向にあったことも影響していました。
ゴルバチョフの顔には心痛の跡が刻まれていました。
アイトマートフ:「ペレストロイカの嵐が私たちを翻弄しています。民主主義がこんなに時間を使ってしまうものだとは思いませんでした」
ゴルバチョフ:「わかります。とてもよくわかります。確かに時間がありません。しかし同時に、別なもの・・・とても大事な心の発見があります。どんな思考も追いつけないような時代が突然開けたのですから。芸術家も、哲学者も、政治家も、そして、あらゆる人々が言うべきことを持っているのです」
アイトマートフ氏は古い寓話を語ることで、ゴルバチョフの心をさぐろうとします。それは・・・
ある為政者のもとに、一人の予言者が訪れました。
「為政者よ、あなたには二つの道、二つの運命、二つの可能性があります。どちらを選ぶかは、あなたの自由です。一つの道は代々の伝統にならって、圧政によって権力の座を固めることです。二つ目の運命。それは受難の道です。なぜならば、為政者よ、あなたが贈った『自由』は、それを受け取った者たちの恩知らずの心となって、あなたに返ってくるからです。自由を得た人間は過去に対する復讐をあなたに向けるでしょう。どちらの運命を選ぶかは、あなたの自由です」
為政者は、その時、予言者に答えました。
「七日間、私を庭で待っていてくれ。私は熟考しよう」・・・
このような古い寓話を、アイトマートフ氏はゴルバチョフに語った後、早くも自分のやったことを後悔し、挨拶をして帰ろうとしました。
その時、ゴルバチョフは苦笑しながら、口を開きました。
「言わんとすることはわかっています。しかし、七日間も私を待つ必要はありません。七分でも長すぎるくらいです。私はもう選択をしてしまったのです。どんな犠牲を払うことになろうとも、私の運命がどんな結末になろうとも、私はひとたび決めた道から外れることはありません。ただ民主主義を、ただ自由を、そして、恐ろしい過去やあらゆる独裁からの脱却を・・・私が目指しているのは、ただこれだけです。国民が私をどう評価するかは国民の自由です・・・。今いる人々の多くが理解しなくとも、私はこの道を行く覚悟です・・・」
アイトマートフ氏はその場を辞しました。
ゴルバチョフは強い権力に守られたクレムリンで”おとぎの国”に暮らすこともできたのです。そうすれば、もっと平穏無事な人生を送ることができたでしょう。しかし、そういった安穏を振り捨てて、敢えてペレストロイカという現実の戦闘の中に飛び込んだのです。
親友アイトマートフ氏は前途を案じ、為政者と予言者の寓話に託して選択を尋ねたわけです。つまり、自由を与えられた民衆は、善をもって報いるとは限らない。むしろ、過去の圧政への恨みを晴らすために、報復が待っているかもしれない。それでも、なおかつ、国民に自由を与えるのか、と。
ゴルバチョフは決然と答えました、「敢えて自由の道を選ぼう」と。
「私は収穫の時には立ち会わないかもしれないが、今のうちに蒔けるだけの種は蒔いておきたい」と。
案の定、ソ連邦崩壊後は、政治・経済・社会が著しく混乱を極めました。国民は去り行く人の背中にやじを飛ばし、冷笑を浴びさせ、足蹴にし、投石しました。自国の強大さを最大の生きがいとしてきた人達は、超大国の廃墟に目をやりながらゴルバチョフを恨みました。また、食料品が少ない店の行列に並びながら、心の底からゴルバチョフを憎みました。マフィアもまた短期的な賭けをたくらんで、社会に跋扈しました。
今まで潜んでいた矛盾が一気に吹き出したため、改革や民主化の波はゴルバチョフの予想を上回るスピードで進み、その波は改革を始めた本人さえも飲み込んでしまったと言えるのかもしれません。
ロシアを旅行した知人が2年程前に語っていたことは、その当時でもまだ、ゴルバチョフに対する国民の心情は厳しいものだったという事です。
グローバル的な視野で見ると、ノーベル平和賞ものの功績であったとしても、真意はなかなか伝わらないものだということでしょう。氏の真の評価は後世の人々に任せるしかありません。 |