| 第1弾 (H18年1月5日配信) |
毎年決める私的十大ニュース
私的十大ニュースを順番づけるのは年末の楽しみとなっています。
あまり良くないことよりは有意義だったこと、嬉しかったことの中から選びますから、自ずと楽しい作業となります。
既に候補は折々の時に手帳にメモをしてありますから、全部を振り返って自分の中でそれぞれを評価する作業となります。 さて、今年はどうだったでしょうか?
まずは2月には会社の創立60周年記念「渡辺淳一文化講演会」をハーモニーホールで開催しました。3月には社員を3班に分けて上海への2泊3日の旅行を実施しましたし、60周年記念の社内パーティを国際交流会館で行いました。 同じく3月には福井県経営品質賞の奨励賞を受賞させて頂きました。
7月と11月には福井IPO異業種交流会を、7月は日華化学さん、11月はサカイオーベックスさんを会場にお借りして実施しました。
4月からはFBCラジオさんで、お昼に「今日の株式市場」という番組を提供するようになりました。
5月と7月には福井県雇用開発協会の要請により、私が下手な講演をさせて頂きました。5月は放送会館、7月はサカイオーベックスさんが会場で、テーマは「いまからをもっといきいきと!」でした。
また7月からは本店の外壁、階段などの改修工事に入りました。
8月には福井放送さんが取材にお見えになって、朝礼、私と社員数名のインタビューを収録されました。その模様は27日のFBCテレビ「健康長寿ふくい」で紹介されました。
11月には福邦銀行さんと一緒に日本投信委託が設定運用する「福井県応援ファンド」の募集に入りました。その前には共同記者会見を開催させて頂き、FBCテレビや新聞各紙で報道されました。 |
| 第2弾 (H18年1月20日配信) |
自分の墓碑銘を考える
私のおぼろげな記憶にあることですが、アメリカのトーマス・ジェファーソン大統領は自分の墓碑銘に大統領であったことではなく、大学を創設したことを記すことを望んだそうです。
つまり、大統領であったことよりも、大学を創ったことにより大きな誇りがあったということなのでしょう。カーネギー・ファンデーションのアンドリュウー・カーネギーの墓碑銘は、これは本で読んだことですが、「ここに人を活かす術を知る人眠る」であるとか(だいたいそのように書いてあったと記憶します)。
昨年、ケン・ブランチャード著『ザ・ビジョンハ 進むべき道は見えているか』を読みました。物語仕掛けで「ビジョン」の大切さを説く秀逸な本でしたが、その中では主演男優役とでもいうべき経営者が、自分の葬式で読まれる追悼文を事前に自分で書き認めておくというストーリーになっていました。
自分の墓碑銘を考えることは、自分の人生への意義づけを行うということになりそうです。自分の人生に大きな目標を設定することになりそうです。さらいは、方向づけ、生きがいを見つけだすことになりそうです。
私も十年近く前に講演会で墓碑銘を決めているという人のお話を聞いて、その後、自分なりに考えてみました。そして一応決めてみました。
その後は数年前に別のセミナーで、「辞世の句」を考えてみようという提案があり、幾つか下手な和歌を読んでみました。その時の講師は「毎日、あるいは毎週でも、辞世の句を考えることは、人生を有意義にするためにも有効である」というようなお話をされていました。
なかなか日本のお墓には墓碑銘はなじまないようで、欧米のツームストーン(ツームストーン広告というのがありますね)だと、なぜか似合うような気がします。
実際には墓碑銘は刻まないにしても、自分なりのものを決めてみることは面白い試みであるかもしれません。
結局、私自身の墓碑銘はここで明かしませんでしたが(恥ずかしいからノ)、私の胸の内には刻まれています。 |
| 第3弾 (H18年2月5日配信) |
ホンダクリオ相澤会長のご講演
2004年度日本経営品質賞を受賞したホンダクリオ新神奈川さんとその会長(受賞当時は社長)相澤賢二氏のことは前々から存じ上げておりました。何と言っても受賞以来、ご本人も著書を出されましたし、様々な雑誌等でも取り上げられていたからです。
そのご本人が福井に来られるということで、会社の仲間と一緒に聞きにいきました。今回はホンダプリモ会と福井県経営品質協議会との共催という形で行われたため、駐車場はホンダの車で一杯でした。
ホンダクリオ新神奈川さんはホンダグループの中で9年連続「顧客満足度日本一」という驚異的な記録を伸ばし続けているそうです。
「自慢できることの一つは失敗の数」と言われる相澤会長は、数々の試行錯誤を経ながら、現在までの素晴らしい企業を築き上げてこられた軌跡をご紹介されました。
顧客満足は建物にはなく、あくまでも人間にある、ということで、人間の質をあげるための努力を弛まず行ってこられたようです。
企業の責任には3つあって、①社員に対する教育責任、②お客様に対する責任としてアフターサービス責任、そして③お取引先に対する責任としての販売責任を挙げておられました。
会社のあり方としても3つあって、①会社は家族、社員や親兄弟、②教育は真剣に愛して、真剣に叱ること、そして③会社は社員のもの、経理の公開を挙げておられました。
社員には「叱られる権利があり」(これは株式会社ワタミの渡邊社長が言っておられることだそうですが)、経営者には「叱る義務がある」のだそうです。
社員教育における考え方としては、「その時、その場で、その事だけを」で、男子社員は「どこに出ても恥ずかしくないビジネスマン」に、そして女性社員は「気遣いのできる優しいお嫁さん」に育て上げることを目標とされているそうです。
このように社員教育に力を入れておられる同社ですが、社員に課題図書を渡して月一回読書感想文を提出させていることも有名です。もう11年間も続けていて、これまでのトータルは127冊にもなっているのだそうです。
今月の本はシンクロナイズド・スイミングの井村コーチの著書『愛しているなら叱りなさい』に決めたそうです。なんでも、考え方がピッタシ一致しているからで、このように課題図書は相澤会長が独断で決めてきたのだとか。
「社長の言うことなんか社員は聞かないものだから、教えたいことは本を通して教えているのです」と。カレーの壱番屋の元社長さんが書かれた本を課題図書にして、全員の読書感想文を送ったところ、レトルトカレーがどっさり送られてきたのだとか、楽しい逸話も紹介しながら話は続きました。
実は我が社でも昨年2月以降、全役職員が毎月の課題図書についての読書感想文を提出するようにしていますので、興味深い話題であったのです。
少し勇気づけられて会場を後にしました。 |
| 第4弾 (H18年2月20日配信) |
毎度ご迷惑の元気配信ですが…
「毎度おなじみのちり紙交換ですが…」という呼びかけを聞かなくなって久しいようですが、「毎度ご迷惑」に近くなっているかと思われますのが、弊社の「元気配信」です。いつも申し訳ございません。また、ご受信頂き有難うございます。
実はこの配信は2002年4月からスタートさせて頂いております。その狙いとするものは、電子メールがますます広まっていく中で、お客様とかすかにでもつながっていく手段として、コスト的にも労力的にも、そして空間的にも有効ではないかということです。
当初は私が月2回の原稿を書いていました。そして何よりメールアドレスを集めなければなりませんので、社内でキャンペーンのようなものを展開して、知人・友人・お客様等からメルアドをお聞きして、受信のお願いをすることから始めました。
やがて社内にある感動工房課・水野 香の応援を得て、原稿の執筆を交代してもらったり、季節のメールや誕生日など折々のメールを増やしていきました。
受信頂いている皆様にメールでアンケートをとらせて頂いたことがあり、その結果、証券会社なのだから、株式などの情報も知らせて欲しいという要望があることが分かりました。
そこで2004年の1月からは幾つかのコースを設けて、それぞれの文章を社員で分担して書くようにしました。ただ、逆効果もあり、「株式」の情報も流すのなら(本当はそのコースをお選び頂いた場合に限るのですが)受信を拒否する、とのメールも幾つか頂いたように覚えています。
現在はシステム上、一つのコースしかお選び頂けないのですが、二つ以上、あるいは全部をご希望される方もたまにおられます。ただ、携帯電話とパソコンに同じ文章をお送りさせて頂いているため、携帯電話に送ることができる文字数に限られてしまう点が難点で、その文字数はわずか230です。
さて、そんなこんなの紆余曲折があり、現在お送りさせて頂いているコースは8つあり、「トップエッセイ」「経営品質」「株式」「IT」「FP」「小さな本棚」「お勧め」「健康」の各コースです。
月2回、私の場合はメール用とパソコンアップ用の原稿を計4本書かなければならず、大変な面もありますが、文章を書かなければならないというプレッシャーがあることで、問題意識を持てるようで、それが勉強にもなっているかと思います。
もっともっと進化させていかなければならないと思っているのが、この「元気配信」です。いつも有難うございます。 |
| 第5弾 (H18年3月5日配信) |
畠経営Gさんのセミナーに参加
「M&Aを活用した究極の企業蘇生術」から
講師:㈱日本M&Aセンター 経営支援室長 大山敬義氏
ライブドアは大きな弱点を抱えていたことは専門家は知っていました。その弱点ゆえにライブドアは無理をし続けなければいけなかったのです。有価証券報告書を3期分眺めてみますと、ある項目だけがずっとマイナスであることに気づくはずです。その項目とはキャッシュフローです。キャッシュフローとは、会社に入ってくるお金から出て行くお金を引いて手元にどれだけ残るかです。営業利益や経常利益とは違って、単純に入ったくるお金から出て行くお金を引いたものです。ライブドアはずっと昔から常にマイナスでした。稼ぐ以上にお金がどんどん出ていっていたのです。お金が無くなると倒産してしまいますから、それを防ぐために企業の価値を高めて、高めた株式で次の会社を買収し、キャッシュをどんどん取り込んでいったのです。どこかで黒字になることを狙ったのでしょうが、最後までこの欠点を埋めることはできなかったのです。
日本国が一番豊かだった時代は平成2年で、当時日本全国の企業の総営業利益額は50兆円でした。そして資産は1京円。会社の状況というのはB/SとP/Lだけ見ていても分からないもので、当時50兆円稼いでいて1京円の財産を持っていた日本国株式会社でしたが、キャッシュフロー的にはマイナス50兆円だったのです。50兆円稼いで100兆円使っていたわけで、お金なんか無かったのです。足りない分は銀行が貸してくれていたのです。そしてその分はみんな不良債権になってしまいました。バブル崩壊の要因は数多くあるでしょうが、その一つはここにあるのではないでしょうか。このキャッシュフローが3期連続マイナスになったら会社は非常事態です。
自社は何が得意で何が足らないのかを考えることも大切です。得意分野は伸ばし、不得手な部分はどこかで補いながら、その結果3年後はこうなる、というような計画を立てることが大事です。
会社が目指すべき方向はだいたい3通りあって、売上増を目指すか、原価をおさえて利益を伸ばす方向へ持っていくか、あるいは根本的に今の経営を変える方向か…。これらに共通することは、最後は必ずキャッスフローが多くなるということです。
足りないものと持っているものが分かれば、次の作戦が色々と出てくることになります。
M&Aの極意は足りないものは他の会社で補い、自分の会社の得意なものは、他の会社を吸収してさらに伸ばせばいいということです。ホリエモンの得意な言葉で言えば「シナジー効果」ということです。
大事なことを3つにまとめてみますと、以下のようになります。
①会社が悪くなると数字は見たくなくなるものですが、悪くなった時こそリアルタイムで正しい数字を把握することが大前提です。
②一番大事な数字はキャッシュフローで、普通の決算書には載っていません。この数字を見て銀行はお付き合いの程度を決めています。
③どうしても自力では無理ということもあります。そういう時は人の力を借りるということも考慮にいれたほうがいいでしょう。足りないものは買ってくる、力が足りない時は他にスポンサーを探すというふうにM&Aは難しく考える必要はないと思います。 |
| 第6弾 (H18年3月20日配信) |
女性はこれからさらに強くなる?
もともと出生率では男の子の方が少し多いと聞いています。しかし、乳幼児での死亡率は男の子の方が若干高いということと、昔は戦争等で大勢の男性が死ぬことが時々あったりしたことなどから、男女の比率は保たれていたような気がします。
しかし幸運にも、医学の発展で男の子の死亡率が減り、戦争等もほとんどの国では無くなり、常に男性の方が女性よりも多くなる時代が到来しています。
加えて女性の晩婚化、あるいは非婚化で、必然的に男性が女性に選ばれる立場になりつつあります。女性をゲットしようとすれば、かっこいいもてる男になるか、あるいはアッシー君か、キープ君か、何かは知りませんが、あやゆる努力をしなければなりません。
女性の社会進出も今後ますます増えることは間違いありません。これまでは経済力の欠如から黙ってついてきた女性陣も、もう我慢ばかりはしていられません。むしろ現実的な生活力のないのは男性の側であり、女性に頼ってきた男性が実は非常に弱い存在です。
島田伸介のテレビ番組「キスイヤ!」で登場するカップルも、どちらかと言うと、女性上位のような気がしています。見ていて歯がゆくなるような男性を何回かたまたま見たことがありますが(もちろん私もその一人でしょうが)、男とはいざとなると弱い存在なのかなと思ってしまいます。
ただ、これから女性がますます社会進出して強くなること自体は、決して悪いことではないと思います。むしろ、男性主導の社会のゆがみを直す一助となるのではないかと期待しているくらいです。
例えば、政治家の半分が女性であったなら、あの無謀な戦争に突入していたのだろうかと考えることがあります。女性の場合は子供を十月十日、お腹の中で育て、そして生んでからもまた20年近く育てるという気の長い作業をする存在です。
命を創り育む女性が一番忌み嫌うことこそ、生命を脅かす戦争や紛争であるはずです。自分は安全な場所にいながら、命令だけで若い部下を戦地においやることができる指導者とはものごとを考える視点が違うはずです。
また、正義感が強いのが女性の一面でもあると思いますから、もし女性がどんどん社会進出すれば、男性社会が築いてきた談合社会にも一石を投じることになるような気がしています。
男性、女性とも互いを補うような存在になれるのであれば、相互牽制が働きますし、より良い相乗効果も生まれることでしょう。
大した結論でもなんでもありませんが、これからはますます女性の社会進出が進む時代となり、その方が男女のバランスがとれて良い社会になるのではないかと思うのです。 |
| 第7弾 (H18年4月5日配信) |
オーストラリア・シドニー2日間
我らは旅行第3班。1・2班の皆さんの貴重なアドバイスのお陰で、なお一層有意義な旅とすることができました! 有難うございました!
1・2班と同じ行程ですから、旅行をされた方にとっては何も目新しいことはないのですが、記録を残す意味で、写真を紹介しながら旅行記を記しておきたいと思います。(今回は次女・美由希が一緒にお世話になり、有難うございました)
私達もまずはあの有名なオペラハウスを間近に見ながら記念写真を撮ることから観光はスタートしました。ホール中までは入れず、売店やトイレまでの入場でした。「セイル」を模したユニークな外観で有名になった建物の、当初の建設予定日数は4年だったというのに、着工から14年を経てようやくオープンしたというのですから驚きです。
続いてバスはミセス・マックオーリー岬へと走り、ミセス・マックオーリーズ・チェア(寂しがる奥様のために提督が岬の先に作ったとされる椅子)に座る私達。良縁が生まれるとされる椅子に、未婚の女性だけでなく、全員で座って記念撮影です。
買い物の後は、ロックス地区にある“Lowenbrau”でバイキング形式の昼食です。ドイツ系のレストランだそうで、ドイツとオーストラリアのビールが用意されてありましたが、皆さんせっかくだからとオーストラリアのビールを選び、「うまい、うまい」、「クイッ、クイッ」とグラスを空けていました。
昼食後はレストラン近くにある、数多くの露店が並ぶマーケットを散策しました。土日だけ開いているということで、色んな種類のお店を興味深く見て回りました。
次は、オペラハウスの眺望が最高だという場所に案内され、「パシャ」「パシャ」と写真を撮った後はブランドショップに案内されました。その高級な店内で過ごす時間は1時間ということで、ブランドに疎い私にとっては時間を過ごすのがちょっと苦痛でした。
店の外をブラブラ探検するなどして時間を潰した後は3時半過ぎにホテル“Four Points by Sheraton Sidney Bay”に到着しました。夕食までは自由時間ということで、私は一服した後、娘と一緒にシドニータワーへと向かいました。歩いて10分もかからない所にそびえ立っているシドニータワーでは、高さ250mの展望台から美しいシドニーの街と海を一望することができました。
購入したチケットには“Oz Treck”というオーストラリアの歴史と文化を探訪できるバーチャル・アトラクションの入場料も含まれていたのですが、待ち時間と上映時間を考えると夕食の集合時間に間に合わない感じでしたので諦めました。
同じくシドニータワーでは“Sky Walk”と言って、展望バルコニーから外に出て、260mの高さを歩いて回るアドベンチャーも用意されてありました。もちろん専用の服に着替えて、安全ベルトで守られた上での90分間の冒険ですが、高所恐怖症の私には考えられないことでした。
当初、展望台に上るためにエレベーター前で並んでいた私達大勢の観光客の横を、突然10人くらいの“Sky Walk”スーツを身にまとった一団が「ガシャ」「ガシャ」と金具の音をたてながらと歩いてきました。するとエレベーターの係員が“Hey, hijack?”と軽口をたたくが早いか、下りてきたエレベーターに私達よりも先に入って上っていってしまいました。まさにエレベーターを「ハイジャック」したかのような勢いでした。勇気あるSky Walker達であり、Hijaker達でした。(私には怖くてできない)
ホテルに戻って、皆で歩いて行ったのはダーリング・ハーバーにある海鮮料理の“Nicks“でした。ここの料理について1・2班の方々から伺っていたことは、料理の品数の少なさと、料理が出される間隔の長さでした。今回は山田部長と古川部長代理が何やら「モニョ、モニョ」とJTBの添乗員さんに耳打ちしたためか、お料理は「こんなんなってしまいました!」 1・2班の皆さん、ごめんなさい!
“Nicks”での夕食の後は、やはりカジノ! 初めてのカジノ!です。ピアモント橋を徒歩で渡って“Star City”の中にあるカジノへと向かいました。18歳未満は入場できない規則ですから、入り口で我が娘は係員にバスポートと顔をジロジロと見比べられました(つい1ヶ月前に18歳になったばかりでギリギリでした)。福田さんも身分証明書提出を求められたのですが、ご本人は「子どもっぽく見られた」ということで、喜ぶどころか嘆いておられました(そんな贅沢な…)。
私は50ドル分だけチップに替えて、ルーレットに挑戦しました。周りを見ながら、恐る恐る、そしてチビチビと2~3枚ずつ賭けていて、たまに当たりはしたものの少しずつチップは減っていく状況でした。このチップが無くなったらやめようと決めていたのですが、ついに最後の2枚になってしまいました。
適当に最後の2枚を数字の上に乗せて、結果を待ちました。「やはりダメか」と判断した私は娘に「何か飲もうか」と言って、飲み物売り場を探しに歩き出しました。しばらく歩いていると、後ろから山田部長の奥様が走ってみえて「当たってましたよ!」とのこと。驚くやら恐縮するやらで、戻るとテーブルの上に私のチップが山積みされていました。ルーレットを回していた係員も、客がいなくなってしまったので、どぎまぎしていたとのこと。
それからもしばらく2~3枚ずつ賭けていましたが、いったんケリをつけようとお金に交換しにいったら110ドルだけ戻ってきました。「50ドル→110ドル」ですし「遊べたしまあいいか」と、まだ熱く賭けている仲間を置いて、娘と一緒に先にホテルに戻りました。
観光2日目はまずは“Featherdale Wildlife Park”でカンガルー、コアラ、ウォンバット、エミュー、ペリカン、ワニ、そして鳥類などなどを見学しました。カンガルーにエサをやったり、コアラと一緒に記念撮影をしたりして楽しみました。
それからはユネスコの世界遺産に指定されたブルーマウンテンズ国立公園へ行きました。伝説の奇岩「スリーシスターズ」は、女性に譬えられる岩にしてはゴツゴツしているという印象でしたが(岩だからしょうがないか…)、快晴だったこともありあたり一面の眺めは絶景でした。
下り急勾配のトロッコ列車では、思わず目をつむり足を踏ん張り、戻りのロープウェイでは空中遊泳を楽しみました。
リゾートホテルでのバイキング昼食の後は、高原の町“Leura”で自由散策とお買い物です。“Leura”とはアボリジニの言葉で溶岩(Lava)という意味だそうですから、その昔、近辺に火山活動でもあったのでしょうか。その高原の町は、今では約100mの間にお洒落なお店が40店ぐらい立ち並んでいます。ガイドさんがしきりに“The Candy Store”をお勧めなさるので、少しお付き合いでキャンデーを購入してきました。
一度、ホテルに戻ってからは、わが社の山田 悟添乗員さんが、4時出発で「モノレールと市場巡りの旅」のオプショナルツアーを募集されていたので、娘と一緒に応募させて頂きました。ホテルから歩いて近くの“Darling Park”駅で乗車し、三つ目の駅“Paddy’s Market”駅で下車。あたりは「チャイナタウン」であるため“Paddy’s Market”内外は中国人の姿が多く見られ、何やら昨年行った上海にでもいるような錯覚を覚えました。
異国の地で、同じ同胞が支えあって生きるために各国につくっている「チャイナタウン」ですが、中国人の生き抜く力のようなものを感じました。
Marketを後にしてからは、ブラブラとホテルの方向へ歩きながら、テイクアウトのジュースを買ったりしていると、「バンク・オブ・オーストラリア」という文字が入った古い建物を交差点角に発見しました。正面には大きく“PUB”とあり、オーストラリア銀行の文字が入ったままパブを経営しているのだから驚きました。せっかくだからと中に入り、ビールを飲み、女性店員さんと一緒に記念撮影までしてしまいました。
その後、“Woolworths”というビル地下のスーパーマケットにも寄り、商品を眺めてからホテルに戻りました。一服してからはバスで“オージービーフ”へ向かい、オペラハウスやシドニー湾を眺めながら分厚いステーキとワインを堪能しました。
オーストラリアでの「最後の晩餐」を済ませた我々は、おおむねパブ組とカジノ組に分かれて、シドニー最後の夜をエンジョイしました。
私はまた、山田添乗員のご案内によるオプショナル・ツアー「パブ…はしごの旅」に参加させて頂きました。まずは「オージービーフ」から歩いてすぐの“Observer Hotel”で足が止まりました。中からガンガン生演奏の音楽が聞こえていたからです。入り口には屈強なお兄さんが目を光らせて立っていて、石田君がパスポートの提示を求められ18歳未満でないかどうかのチェックを受けました。続いて斉藤主任もチェックを受けましたが、自らパスポートを提出しに歩み寄ったという噂も耳にしましたが、真偽のほどは分かりません。パブの中は生演奏の音で会話もままならないので、外の席に出ますと心地よい風が吹いていました。土曜日の夜ならパブは人で一杯になるようですが、日曜の夜は家族で食事をするという習慣があるそうで、それほどの人込みでもありませんでした。
続いて2軒目は“Observer Hotel”から歩いてすぐの“Orient Hotel”に入りました。こちらも生演奏で賑やかなので、内庭に移ると、そこには若い男女が大勢グループで歓談していました。
翌朝が早いこともあり、今回のオプショナル・ツアーでは2軒のはしごで終わりましたが、貴重な体験となりました。山田添乗員さん、有難うございました!(カジノ組の結果は、リベンジ成功組もあれば、連勝とはならなかった組もあったりとマチマチであったようです)
翌朝、シドニー空港に着くと、オーストラリア便は1時間遅れで出発とのこと…。それがオーストラリア人がのんびりしているからか、それとも私達と一緒に乗った修学旅行の女子中学生の大群のせいかは分かりません。
名古屋空港に着くと、福井は大雪との連絡が入り、またビックリ。実際、雪のための安全運転のせいで、福井の会社前に着いたのは深夜12時20分近く…。皆さん、大変にお疲れさまでした。 オーストラリアは親日感情もあって、治安も良く、住み良い国との印象を受けました。まだまだ探検すべき広い国土があるオーストラリア。いずこの地に行っても、そこには人が住み、人が生きている。
当たり前と言えば当たり前ですが、不思議と言えば何と不思議なのでしょう。
そのオーストラリアで、ほんの一瞬ですが人生の交差をした方々に幸せあれ! |
| 第8弾 (H18年4月20日配信) |
第4回IPO異業種交流会を開催
第4回福井IPO異業種交流会が4月6日(木)、ユアーズホテルにて開催されました。午後4時半のスタート予定でしたが、続々と詰め掛けるお客様の様子を伺いながら、5分程度だけ遅らせての開始となりました。
まずは私の挨拶ということで、この異業種交流会の歴史を簡単に振り返らせて頂きました。第1回目は同じユアーズホテルにて一昨年の11月に開催しました。2回目は日華化学さん、3回目はサカイ・オーベックスさんをそれぞれ会場にお借りして、昨年の7月と11月に行いました。そして今回の4回目。
参加者数は1回目が28名、2回目が56名、3回目が59名、そして今回は、講演会だけ、あるいは懇親会だけの方も合わせると150名を超える予定であることをご報告しました。さらに、今後は年3回を定期的に開催していくことも宣言させて頂きました。
講師の藤永社長様のことも、その私塾「ビッグ・ビジネス創業塾」のことも含めて簡単にご紹介させて頂き、最後にはマスモ・レディース・フォ-ラム「すずらんの会」についてご説明して降壇しました。
登場された藤永社長はご用意頂いたレジメに沿ってお話を進められました。テーマは「我が社の経営戦略」です。
開業当時は社員が出社してくれるかどうかで悩む毎日で、資金繰りも創業以来17年中で13年間は苦しくて、お金のことで夢を見て夜中に飛び起きることが続いていたそうです。ようやく4年前位からはお金のことで心配しなくてすむようになったそうです。
これからの夢については、「富士パールネックレス作戦」というのを展開中だそうです。これは今後、静岡、長野、山梨などに出店して、富士山をくるりと回って新潟、富山、石川につなぐという作戦で、人口を考えると大型店を中部一体に200店位出店できそうだとのことです。
M&Aについては、それを一回もせずにチェーン展開をしたり、市場シェアを確保することはまずないということで、M&Aは最重要経営課題として捉えておられるそうです。
その他、お話しされたことを一部まとめてご紹介しますと:
・省力のための機械化投資は取り入れるべき。人件費の方が当初は高く思えても、いくら高いものであっても最後には機械が勝つ。セルフレジがもう出始めている。
・ウォルマートという世界最大の小売業の創業者サム・ウォルトンが言い続けていたことは「すべてを小さく考えよ“Think Small”」ということだ。あれだけ大きな企業になっても、「一品」「一店」「一人」ずつで考えている。
・目的と目標を定め、明示する。目標とは数字的なもので、目的とは「何のためにこの会社が存在するのか」ということだ。
・業界の経験法則に基づいた王道を学び、明示する。我が社は業界でうまくいっていることだけしかやっていない。思いついたことでも業界でやっていないことはやらないと決めている。つまり、ものまねばかりということ。王道を勉強せずして、自分の思いつきでやることはかなりのハイリスク。人類3千年の歴史を無視して思いつきでやることは人生を捨てているようなもの。
・社内の組織改革をすすめ、明示する。同じ仕事をずっとやらせることはダメで、ジョブ・ローテーションをすることでゼネラリストが育つ。異動は毎年4月にやると決める必要はなく、いつやるか分からない方がいい。40歳を超えると最大6年、それ未満だと3年という決まりを設けている。異動を発表する時は社内はピリッとするし、発表する瞬間に会社は良くなる。
・従業員の利益を考え、明示する。利益をどう分配するのかを常に言っておく必要がある。我が社ではボーナス査定を含めて10種類の収入増の方法がある。自分の財布と会社の財布がイコールとまではいかないが、近くまでレベルアップしてくる。
・しくみをつくり、明示する。こういう仕組みで出店、物流、教育をするのだとかを紙ベースで渡す。
・資金調達方針を決め、明示する。資金をどこから調達するのかということを皆が知っていると働き甲斐が違う。
・教育体系を作り、明示する。生涯教育をしていき、我が社を辞めても余所ではもっと高い給料で雇ってもらえるように育てるよ、ということでしくみを明示する。
・しつけの方針を決め、明示する。最近の若い者はしつけがされていない、などとよく言われるが、それなら我が社だけしつけをすれば差別化できる。家庭でも学校でも会社でもしつけされないとしたら日本は危ういのであって、だから会社でやる。立ったら椅子を机の下に入れてから挨拶すると決めてあるので、一人でもしていないと我が社では挨拶できない。
・すべては従業員のモチベーションに繋がっているかどうかが大事。人件費は全コストの50%もあるのだから、これを何気に払っているのは馬鹿な話。
・競争において大事なのは楽観主義であって、悲観になる人から市場から去っていく。楽観主義は最後に勝つから、何があっても慌てふためかない。冷静に現状分析をして、何をすべきかを考える。
・常に自分の頭の中で楽観主義言葉を繰り返すことが大事。相手より悲観になると必ず負ける。
・テレビ会議は3Qさんがやっているものを導入しているのだが、遠隔地の店とのコミュニケーションに非常にいい。朝礼も各ミーティングも全部これでやっている。昔は電話会議だったので、月間で何百万も電話料金を払っていたが、テレビ会議は料金が固定でお徳だ。
・部下を叱れるかどうかが重要。まず、社長が叱れるかどうかであり、叱れない社長はダメだ。心の底から頭にきて叱ればいいし、手加減なしでいい。「ここはひとつぐっと我慢だ」なんてすることはない。すると部下もその下の部下を叱るようになる。叱ると嫌われるように思う人がいるが、本当は叱らないと嫌われるのだ。叱らないとお店も部署も悪くなっていく。叱らないと育たないのであって、嫌われたくない心を捨てるしかない。経営者は孤独になっても何になっても、この心を捨てなくてはならない。こういうことは初めから若い人に言っているのだが、10人中2人位は初めからできるようであり、こういう人は目をつけた方がいい。こういう人は伸びるのであって、叱れる人は使い道がある。
このように藤永社長様のお話は「さすが…」「なるほど…」と唸らさせるものかりで、若くして株式公開企業を築きあげた方だけのことはあるなと思わされました。
講演会が終わって、引き続き懇親会に参加される皆様には同じフロアにある会場に移って頂きました。
席は特に決めずに皆様に自由に座って頂き、懇親会のスタート。まずは合同開発・水上社長様に乾杯のご発声です。
水上社長様からは、藤永社長のお話が非常に良かったという点や、特に楽観主義で行こうという話には安心した旨お話があり、乾杯後、皆様には食事をお楽しみ頂きました。
今回のおもてなし役には営業の管理職以上の社員が担当し、またユーアイふくいで新社会人式に参加してきたばかりの新人6名にも参加させました。やはり、最初から企業トップに接して頂きたかったからです。
私自身、とにかくお酒を酌み回りながら、久しぶりに額に汗が玉のようにあふれ出る経験をしました。
そして宴会の途中、弊社営業社員より、FM福井の人気番組「全開!福井あばさけビジネス道」のご紹介をしました。福井エフエム放送の中村部長、「あばさけ」の4人のメンバーの内、今回ご参加頂いたシアターハウスの吉村社長、Posy&Posyの木村代表、そして最近同番組でゲスト出演されたインフォネットの岸田社長、そしてjig.jpの福野社長らの皆さんが壇上に上がって、お一人ずつに自己紹介をして頂きました。
中村部長さんからは、「この番組は益永社長が大ファンなのです!」とのご紹介がありましたが、事実、私はこの番組のことを知った昨年10月末以来、一度も聞き逃したことはありません。毎週火曜日夕方5時からの30分番組ですが、毎回主にIT関係の著名人が登場されていて、大変に勉強になるのです。
その後はまた懇談タイムとなり、8時少し前に中締めとして、たんなん夢レディオの伊藤理事長様にご挨拶頂きました。
伊藤理事長様からは素晴らしい講演をされたゲンキー藤永社長様への御礼と、こういう交流会を企画している我が社への感謝のお言葉があり、楽しかった懇親会もお開きとなりました。
最後は、弊社一同が全員並んでお見送りをして、第4回福井IPO異業種交流会は無事終了とありなりました。
ご参加頂いた皆様へ感謝申し上げます。次回第5回目は7月を予定しています。さらに交流の輪を広げて参りましょう! |
| 第9弾 (H18年5月5日配信) |
桜満開*花盛りの京の旅
4月12日(水)、ひょんなことから京都への日帰り旅行をすることになりました。
シェルパインベストメント株式会社の川本社長さんのことは社内報や「モーニングメール」で何度もご紹介してきました。東京で研修中の益茂VC・岡本アソーシエイトにも会って頂き、シェルパさん社内で開かれる若手経営者の集まりにも呼んで頂いたようです。
私自身、何かと教わったり、色んな人を紹介頂いたりしているわけですが、その川本社長さんよりある日メールが入り、今回の京の旅のお誘いを頂いた際には二つ返事でOKさせて頂きました。 これから始まろうとしている大きなプロジェクトの打ち合わせを兼ねていることもあるし、同時に新たな経営者の皆さんと知己を得る機会でもあったからです。
私は朝から普通に仕事をしながら、午前10時05福井発の電車に乗って京都へと向かいました。つまりそれからはリフレッシュ休暇を頂いたわけです。(すいません)
京都駅で待ち合わせを約束したのは5人の方々でした。もちろんシェルパインベストメントの川本昌寛社長、新日本監査法人の高倉弘顧問、日進レンタカー株式会社の富田純明社長、株式会社オーキッドシステムの松浦正英社長、そして株式会社サガコーボレーションの荒谷三和子社長の皆さんで、東京から新幹線でお着になられました。
すぐに荒谷社長さんのお知り合いのタクシー運転手の車に乗って京の旅の始まりです。
まずは伏見稲荷という商売の神様とされる神社に案内されました。そこは富田社長さんのお会社が寄進された鳥居が立っていて、皆でその前で記念写真を撮りました。富田社長さんはその場で寄付をまたされたようで、神主さんが特別に祈祷してくれました。
それからは光明院という庭園がとても美しい場所に連れて行ってもらいました。ここは観光客にあまり知られていない穴場だそうで、事実私たちがいる間は他には誰も来ませんでした。
この庭園で渡哲也さんが出て日本酒のコマーシャルが撮影されたりだとか、JR西日本の京都観光の写真が撮られたりしたそうです。(大きくて、とても綺麗なポスターが何枚か貼ってありました。舞妓さんが写っているものもノ)
光明院玄関前の咲き香るしだれ桜の前で記念撮影です。
またタクシーで移動して蕎麦屋「やぐ羅」に着いたのは午後1時半頃。少し遅くなった昼食タイムです。
おいしいお蕎麦を頂いた後はすぐ近くの「禎山窯 川尻」へ。2004年に日展の特賞を受賞された川尻 潤先生(まだ41歳で独身!)の工房で陶芸教室です。
お父様・川尻一寛先生は日本芸術会員で、家は代々加賀前田藩の御用達窯元だったそうです。
潤先生ご自身も日本現代工芸展や日展で毎年入選されていて、将来が嘱望されている若手作家であるようです。
ここで先生の応援を頂きながら作陶の真似ごとをしてから(作った作品は先生の所で焼いて頂き一ヵ月後くらいに送られてくるそうで)、次は辰己という場所へ。ここは何でも映画であれドラマであれ、京都でのロケというと必ずといっていいほど登場する場所だそうです。桜はもうちょっと遅い感じでしたが、観光客の多いこと多いこと。
そこを後にしてからは、今回の大きな目的の一つである「都をどり」を見る場所、祇園甲部歌舞場へ到着。開演までの時間は庭園を散策したり、日本茶を頂いたりしながら過ごし、「都をどり」の開演、開演。
「都をどり」の誕生は明治5年で、当時祇園界隈は明治維新と東京遷都によって荒廃していたそうです。そこで当時の長谷府知事が京都の町にかつての賑わいを取り戻そうと、日本最初の博覧会の余興として、祇園町の芸妓・舞妓による茶と歌舞を公演したことに始まるそうです。
その後、昭和19年から24年の6年間の休演をはさみながらも130年余の歴史を築きあげてきたそうです。
「都をどり」は毎年4月の一ヵ月間だけ開催され、一日4回、一回一時間の公演です。私たちはその日最後の4時50分開演の部を観賞。
全8景の京情緒あふれる豪華絢爛な舞台を楽しんだ後は、歩いてお茶屋「富美代」へ。
その日の「都をどり」で踊った舞妓・芸妓さんが駆け付けくれて、途中お座敷遊びもしながら京の夜を楽しまさせて頂きました。
それにしましても感心させられたのは舞妓さんたちのマナーの良さです。これも初めて知ったのですが、舞妓とは元々は芸妓になるまでの修行中の呼び名だそうです。
初々しい「小さい舞妓さん」の時はぶら下がった花かんざしをさして、「大きい舞妓さん」になるとシンプルな花かんざしになるそうです。襟も、小さい舞妓さんは華やかな刺繍の赤襟ですが、大きくなるにつれて白い襟に変わるのだそうです。紅のさし方も、最初の一年ほどは下唇だけで、お姐さんの許しを得て上唇にも紅をさすのだそうです。
結構厳しい上下関係があって、礼儀作法をたたき込まれているのだろうと想像しました。
とにかく何があっても「おおきに」「おおきに」で、感謝の言葉は耳に心地よいものがありました。
川本社長さんのお誘いがなければ行かなかったでしょうが、初めて観賞する「都をどり」、そして春で華やぐ京の町は素晴らしいものがありました。 |
| 第10弾 (H18年5月20日配信) |
お台場・大江戸温泉物語へ入湯
東京に出張した際、知人のVC(ベンチャー・キャピタル)K社長に連れられて「大江戸温泉物語」に初めて行きました。そこで異業種交流会があるというのです。
実は「ゆりかもめ」に乗るのも初めてで、数日前の脱線事故のニュースは聞いていましたが、それよりも最前列に座って、ますます高層ビルが立ち並ぶ東京の景色を楽しむ気分で一杯でした。
テレコムセンター駅で下車して「大江戸温泉物語」へ。
ここは03年オープンの「温泉テーマパーク」。天然温泉や砂風呂&岩盤浴のほか、江戸の町並みを再現した施設で食事や休憩をしながらたっぷり遊べるというリゾートです。
まずは帳場で受付をすませ「手形」と「巾着」を受け取ると、江戸一番の呉服店「越後屋」へ。浮世絵などをモチーフにした全19種類の浴衣から、好みの一着を選びます。更衣室で着替えをしてからは湯屋へ。
大江戸温泉、百人風呂、寝湯、半身浴、百景の湯、露天風呂など様々お風呂を楽しむことができます。風呂から出た後は、K社長とビールをジョッキで一杯と枝豆。マッサージを受けるというK社長に付き合って私も同じ45分コースをお願いしました。ごくらく、ごくらく…。こんなことあっていいの、という感じでした。
異業種交流会の冒頭では、「大江戸温泉物語」の支配人が温泉の全容をご紹介されました。03年に江東区の台場地区で日本初の温泉テーマパークとしてオープン。江戸文化を題材にし、天然温泉や足湯、露天風呂、砂風呂のほか、江戸の町を再現した娯楽施設やマッサージ室、食堂、宿泊の施設などを備えており、昨年は年間85万人が利用したのだそうです。
利用者の内、2割は外国人になることが目標だそうで、事実、この日はウィークデーで入場者数はそれほどでもなかったようですが、外国人の姿もチラホラ見ることができました。
支配人は今度石川県にも進出する話をされ、その時はびっくりしましたが、すぐその後(5月12日)の北国新聞で、営業停止していた加賀百万石時代村跡地に「大江戸温泉物語」が進出する旨報じられ、「ああこのことだったのか」と納得しました。
今回はビジネスが主で、時間的制限もあり、施設内を十分に楽しむことはできませんでしたが、もっとゆったりとできる時に来たいと思いました。 |
| 第11弾 (H18年6月5日配信) |
経営者人生における幸せ探し?
ある日、最近知己を得た方から東京での講演会の案内メールが来ました。
三人の講師の一人が福島正伸さんであったことから、俄然興味が湧きました。 といいますのは、いつ頃からは忘れましたが、毎日、福島さんのメルマガが届いていて、その言葉の数々に感銘を受けていたからです。
どうしてあのような言葉が浮かぶのだろう? 一体、どういう人なんだろう?
しかも、その講演会の案内には、このような文章がありました。
「『経営者になれば幸せになれると思っていたノ』しかし実際には、組織の隅々まで心配する『組織の下僕』である社長業。『なんでそもそも大変な経営者をやっているんだっけ?』という疑問が一度でも脳裏をかすめた貴方へ。『このために経営者業をやっているんだ!』という気付きを誘発していただける大講演会です。またお客様と直接向き合いサービスを提供する企業にとっては、経営者がそして社員が如何に夢や目標(ビジョン)を持って前へ進むかが明確になります。経営者や社員がお客様へ最高のサービス(おもてなし)をするために必要な時流のとらえ方やモノの考え方についても大きな気付きが得られます」と。
私自身、恥ずかしながら3年前位に一時的にはせよ、「社員さんなんて一人も雇いたくない。細々とでいい、一人で自営業がしたい」と思い悩んだことがあります。
でも、すぐに立ち直りましたし、その後も年に一度くらいは落ち込むことがありますが、大概は元気にやっているかと思います。
それでも、チラシのような文章を読むと、是非とも参加したい気持ちにかられ、 東京へ馳せ参じました。場所は有楽町駅近くのよみうりホール。
残りの二人の講師は人間学経営研究所・所長の林 英臣氏と、株式会社ハイネット・コンサルティング社長の角田識之氏で、林さんは 「タテイトからの根源力をつかめ! 託されて生きる経営者の天命」というテーマで、そしては角田さんは 「人本主義を誇りあるアジアン・スタンダードへ ~孫文先生とケネディ大統領の遺言~」というテーマで講演されました。
どなたのお話も素晴らしかったのですが、ここでは福島正伸さんの講演「夢しか実現しない」の一部をご紹介させて頂きます。
その前に福島さんの人となりをご紹介しますと:1958年生まれ。早稲田大学法学部卒業、コンサルタント会社に入社するも、「時間がもったいない」と2日目に退社を決意。家庭教師で生活費を得ながら、84年、株式会社ビーボードを設立。その後、人生をかけて出来る仕事を模索し、88年、株式会社アントレプレナーセンターを設立、起業家及び自立型人材育成に注力されています。(以下は講演の一部です)
今日のテーマは「夢しか実現しない」です。大好きな言葉でして、「夢は実現する」と最初は思っていたのですが、よくよく考えてみると夢以外のことが実現することがあるのだろうかということで、こういうテーマにしています。
会社を興しててはみたものの4つほどの事業が全部失敗しました。売上が一銭も上がらないのです。5つめ目の事業についても失敗するイメージしか湧かず「どうせ失敗するだろう」と本気になれなかった。
そこで、世の中で不可能を可能にした人に全部会ってみようとして、結局は180人位の人と会いました。不可能を可能にした人達に共通していることは「恵まれない環境で始めること」だったのです。
ある経営者の方に言われました。「福島さん4つの事業で失敗したということですが、失敗の定義って何ですか?」
私は答えました。「あらかじめ立てた目標を、どんなに努力してもうまくいかなかったことです」と。 すると怒られました。「福島さん、あなた経営者を辞めなさい。社会に迷惑をかける経営者は。もうアルバイトくらいにしておきなさい」
私は言い返しました。「でも、どんなに努力したって、うまくいかない時ってあるじゃないですか」
すると言われました。「ない。じゃあ君ね、努力の中身をすべて言ってみなさい。何をしたかを全部話してみなさい。何通りのことをやってみた? どうせ2~30通りだろう。何通りあると思う? 君がやりたいことを実現するためには100万通りある。君は努力をしないで、したつもりになっているわけだ。君より努力をする人間はいくらでもいる。君は初めから諦めようとしている。人生に失敗などあるか。成功しかないだろう」
私は驚きました。そんな考え方があるのかって。
「どうしても福島君が事業をやりたいというならば、これから起こる失敗はすべて『糧』と呼びなさい。『勉強になった』『素晴らしいことを教えられた』『それで良かったのだ』と。そして次に諦めるな。成功しかないぞ」
私は高校の先生からマッチ工場の話を何度も聞かされていたことを思い出しました。
清水誠さんという、「マッチの神様」と呼ばれている人の話です。明治初期にヨーロッパでマッチが開発されたので、清水さんがヨーロッパへ行って勉強して帰ってきて、日本でマッチ工場を作りました。この事業は大成功したのですが、ちょっとしたことで大爆発を起こしてしまい近所にまで類焼し、会社は倒産しました。
数年後、銀行に清水さんがやってきました。突然、銀行員の前でマッチを摺りだしました。銀行員の人達は逃げ出しました。「誠は狂っちゃったぞ!早く逃げろ!」
皆が逃げたのは、火をつけられるということと、初期のマッチは毒ガスが出たからです。風通しのいい所で火をつけろと言われていたのです。皆は逃げているのに、清水さんは平気な顔をして何本も何本もマッチを擦っているのです。遠くの方から皆が「清水さん、大丈夫か?毒ガス出るんじゃないのか?」と聞くと清水さんは「毒ガスが出ないマッチを開発した」と答えました。
銀行は慌てて連絡を取り合い、清水さんに聞きました。「清水さん、あんた借金いくら残っているの?全額うちの銀行が肩代わりさせてもらいたいのだけど。このマッチの技術を使って工場を作るといくら資金が必要なの?全額うちの銀行で資金を提供したいだけど」
そして、またマッチ工場ができて、なんと全世界に輸出されるという素晴らしい理想のマッチが生産されていたのですが、また爆発事故を起こしたのです。火の海になりました。そしてまた倒産しました。
数年後、清水さんがまた銀行にやってこられました。その時、社会問題が起きていました。日本のマッチが売れるものだから、品質がどんどん落ちていき、海外では1箱の中で1本も点かないマッチが日本製として売られていました。ボイコット運動が起き、国際問題に波及するような状況になっていました。
清水さんは銀行員の前でガチャガチャ機械を動かし出しました。自動マッチ製造機を作っていたのです。人間が手で作ると品質に差が出てしまうが、この機械で作ったマッチはほぼ100%火が点くというのです。
銀行員は慌てて清水さんにお願いをしました。「あなたはいくら借金があるのですか。すべて肩代わりさせてもらえませんか?工場を作るのにいくらお金がかかるのですか?」
清水さんは見事にまた再起をして、マッチの神様として崇められる存在なりました。
失敗って何なんだ? 高校の先生は教えてくれました。「いつまでもチャレンジャーでい続けることはできる。成功、失敗は時の運。そんなものに振り回されるな。大事なのは生き方だ。諦めない。常に夢を持ってチャレンジし続けていれば、必ず道が開ける。たとえうまく行かないことがあっても、それは今までにない発明・発見をするすごいチャンスにしかならない。でも、実際やってみると、なかなか人から聞いた話も忘れてしまう。だから何度でもやってあげるよ」と。
私はもう諦めることを止めました。その日から、とにかくやろうと思ったことは諦めないと決めました。私には今3つのポリシーがあって、①諦めない、②自分から率先して行動する、そして③どんな失敗も前向きにしか受け止めない、ということです。
このような福島さんの講演は続きました。まだまだ、涙どころか鳴咽が出てしまいそうになる場面もありました。いずれにしましても、「感動」ノ今、改めてこれが21世紀のキーワードであることを実感します。 |
| 第12弾 (H18年6月20日配信) |
長崎ちゃんぽんを本場で食べて
「ちゃんぽん」発祥の店と言われているのが長崎にある「四海楼(しかいろう)」
創業明治32年のお店だそうです。
「ちゃんぽん」とは、遠い海を渡って中国から伝わってきた食べ物かと私は思っていましたが、実は長崎で生まれたものだとか。
その生みの親が「四海楼」の初代店主・陳 平順氏なのだそうです。陳氏は長崎に来ていた中国人留学生のために、美味しくてボリュームがあり、栄養価が高く、なおかつ安価なメニューをと考えた結果、コクのあるスープに新鮮な魚介類をふんだんに使った麺料理「ちゃんぽん」を考案したのだそうです。
その独特な味は、中国人のみならず、多くの日本人の人気も呼びようになったのだそうです。ちなみに、「皿うどん」も陳氏が「ちゃんぽん」のバリエーションとして考えたものなのだそうです。ちゃんぽん麺を強火で焼き、ちゃんぽん同様の具を炒め、少な目のスープを加え麺に染み込ませた料理であるわけです。
さて、その陳氏は明治32年に中国菜館、兼、旅館の「四海楼」を創業。従業員30人での意欲に満ちた創業であったとか。明治後期になると、「ちゃんぽん」という名が付き、童謡にも登場するようなったのだそうです。「すべっても転んでも四海楼の前でちゃんぽん一杯食わなきゃ腰立たぬ」などと歌われたというのですから、名誉なことです。
大正時代になると、歌人斉藤茂吉をはじめ、当時の文豪たちの社交場としても繁盛したそうで、昭和に入ると常陸宮殿下や皇太子殿下のご来訪もあったのだそうです。
さて、私個人が東京に住んでいた頃、虎ノ門のとある店の前にお昼頃になると人が並ぶ店を仕事の途中で発見。何のお店だろうと好奇心から入ってみると、ちゃんぽんや皿うどんの専門店でした。これが美味! 雨が降っていても、傘を差してでも人が並ぶ理由がわかりました。
それからというもの、わざと虎ノ門で仕事をつくるようにして時々通いました。あれから20年経ち、昨年のこと、仕事で上京し渋谷を歩いていると、裏路地に「ちゃんぽん」の看板を発見。駄目もとで入ってみると、懐かしい味ではないですか!
「あの虎ノ門のお店と同じ味だ!」
レジでそんな話を女性に投げかけてみると、虎ノ門の店主とは兄弟になるのだとか!
... 「どおりで!」と納得して帰りました。
おいしい「ちゃんぽん」再び発見! |