| 第12弾 (H19年6月20日配信) |
【トップエッセイコース12 担当:弊社社長 益永】
件名:博多一風堂・河原成美社長ご講演
6月8日(金)の午後7時から、福井商工会議所地下コンベンションホールで開催されたのが「博多一風堂」河原社長の講演会。テーマは「生まれて来たことが、大創業!」でした。
「博多一風堂」と言えば、言わずと知れたラーメン屋さん。私も一回、博多で食べたことがあります。
河原社長さんはTVチャンピオン「ラーメン職人選手権」で3連覇の実績があるそう。1952年福岡県生まれ。76年大学卒業後、量販店やコック見習いを経て、79年レストランバーを開店。85年に「博多一風堂」1号店を開店し、翌年に「力の源(もと)カンパニー」設立。
1997年の「ラーメン選手権」3連覇で殿堂入りし、2005年12月にはTBS系史上最大のラーメン王座決定戦で、初代麺王に輝かれました。
まず冒頭にはDVDが流され、河原社長が登場したテレビ番組の模様などが上映されました。
冒頭には、このような言葉が:「今いる処が最後の砦、そして全ての始まりなんだ」と。
力の源カンパニーさんでは様々な社員研修を行なっているようです。まずは誕生日研修。1年目はその月に誕生日を迎えた社員さんを、リッツカールトンホテル(大阪)に招待したのだそうです。
有名な「クレド」についての研修をリッツの人事部の人にしてもらい、館内ツアーでは一泊60万円のスイートも見学。夕食をレストランでした後は、内観の時間です。これまで両親にお世話になったこと、迷惑をかけたこと、そしてお返しをしたことなどを2時間の時間を使って書いてもらうのだそうです。
最初はなかなか思い出せないのですが、ボチボチ書いていく内に、いかにお返ししたことが少ないかに気付くのだそうです。
そこで、河原社長は皆に頼みます、部屋に戻ったら両親宛の手紙を書いてくれないか、と。翌日、その手紙を集めて両親宛に郵送をす
るのだそうです。
こういうふうに同じ経験を共有することで、社内に一体感を醸し出すのだそうです。
1年目はリッツカールトンでしたが、2年目の誕生日研修はミュージカル「キャッツ」の観賞でした。
五反田のキャッツ・シアターでは既に「キャッツ」は6千回も上演されているのだそうです。それだけリピーターもいるわけですが、その秘密をホテルに戻ってから皆で感想を述べ合うのです。
最初は「ミュージカルなんて…」と言っていた社員も、皆、感動をするのだそうです。
3年目の誕生日研修の行き先はまだ決まっていないのだそうですが、河原社長はお寺にでもしようかと考えていると、語っておられました。
次には出張料理教室です。
小学校の5・6年生を対象に、社員が出張料理教室を行なっているのだそうです。生徒さんが料理を作ることで感動を味わう様子を見ることで、社員さんも感動しますし、教え方や生徒さんをまとめることが上手な人は店を任せても繁盛するのだそうです。
原点の日研修とは、今ではなかなか店に出ることが少なくなった河原社長さんが一日、博多本店に入る日です。この時は店長クラスが選ばれて集まります。
河原社長がラーメンを作ると、350杯出しても、ダストボックスに捨てられる食べ残しはほんのわずかだそうです。
ノート研修というものもあります。これは一人一冊ノートになんでもいいから記していくことなのだそうです。書くことに慣れるためだそうです。
これはお金がかからない研修ですが、店員で行なうと店の一体感が生まれるのだそうです。また、成長速度が全然違ってくるのだとも。
このように様々な社員研修を行なっている同社ですが、河原社長は今から10年前の44歳の時に10年計画を決めたのだそうです。それは10年で10冊の本出版、フリーペーパー誌を65号出すこと、そして(人前で話すのが苦手だったことがあり)、年間10回×10年で100回の講演というものでした。まもなく54歳を迎える河原社長ですが、本については今年2冊出すことが決まっており10冊は達成できるし、フリーペーパー誌は60号まで出ることになっており、一応達成。今後はウェブサイトで出していく予定だそうですし、講演についても既に100回を超えているのだそうです。
河原社長は「決めてやってきて良かった」を言っておられました。当時はまだ3店舗位だったわけですが、今では「博多一風堂」33店、「五行」3店の他、違う業態も店もあり、上海にもお店があるのだそうです。
河原社長はこのように語っておられました。
「目標を決めるということは良いことです。目標を設定しないことは、ボディブローのようにジワジワと効いてきます。業績が悪くなってきます。KOパンチにはならないにしても、ボディブローのように効いてきます」
このように河原社長のお話を初めて、しかも生で聞くことになりましたが、そのお人柄に共感を覚えました。
一言で言えば、お人柄が好きになりました。
講演が始まる前に入り口付近で売っていた著書を一冊購入しておいてあったので、講演が終わると私が一番でサインしてもらいました。
名刺も交換させて頂きました。
行って良かった、そう思いながら会社に戻りました。 |
| 第11弾 (H19年6月5日配信) |
【トップエッセイコース11 担当:弊社社長 益永】
件名:豊田自動織機・石川会長のご講演
1997~99年を「変曲点」として世の中が大きく変わってしまった。
当時はバブル崩壊に伴い倒産やリストラが増えていた。1990年と2005年を比較すると、不登校は2倍、フリーターは2.3倍、自己破産は19倍、児童虐待は31倍にもなっている。子供たちに「大人になる頃は日本の社会や暮らしは良くなっているか」と聞くと、良くなるとは思わない、と答える人が多い。これは親、企業さらには社会のせいであり、私達は自戒しなければならない。
日本の人口は50年後には1億人となり、約2800万人が減少する。50年後には15歳未満は11%となり、65歳以上は36%となる。子供が減っている中で、高齢者が増えていく。労働人口も、2015年までに410万人減る。しかし、フリーターの就業支援、女性の仕事と家庭の両立支援、高齢者の活用で110万人の減少にとどめることが可能である。
当社の社名は、6年前に「豊田自動織機製作所」から「豊田自動織機」に変更した。トヨタのルーツでもあり、トヨタが発展していった思想を忘れてはいけないということから「自動織機」は取らなかった・
また、社祖の豊田佐吉から脈々と伝えられた「豊田綱領」には、「産業報国」「研究と創造」「常に時流に先んずべし」「華美を戒め」
「質実剛健」「家庭的美風」「報恩感謝」などが掲げられているが、これらも大事にし、引き継いでいきたい。
豊田章一郎・トヨタ自動車名誉会長は、①世のため、人のためになることをする、②人のやらないことをする、人マネはダメ、そして③現地便物、愚直、ということをよく話される。こういうことを、社員に刷り込んでいくことが重要であると思っている。 |
| 第10弾 (H19年5月20日配信) |
【トップエッセイコース10 担当:弊社社長 益永】
件名:生保セールス&ミュージシャン!
東京の知人から聞いて初めて知った南部直登さんとは、生保の分野で常にトップセールスでありながら、ミュージシャンとしても年間百数十回ものライブ公演をされている方なのです。
車中で聞いていたラジオ番組から耳に入ってきたのが「南部直登さん」という言葉。ボリュームを上げてしばらく聞いてみると、生出演中であることが分かりました。
会社に電話をして、放送局に電話してもらい、番組収録後にご本人とお会いできないものかどうか聞いてもらいました。
私はと言えば、訪問先の用事を終えて、社から入っていた携帯電話に返信すると、「南部さんは収録後には1階のレストランに行く予定なので、そこでお会いできます」というご返事。
すぐに放送局へ車を走らせて、レストランへ。
既に南部さん、放送局の方、そして支援者の方お2人がコーヒを飲んで一服されていました。
突然の見知らぬ人間の乱入に南部さんはびっくりされたことでしょう。
私は共通の知人ということになる馬田さんからお名前を聞いたということ、そして南部さんのサイン入りCDを頂いたことなどを早口でしゃべりました。
加えて、地元出身の音楽家集団「楽衆玄達」のこともご紹介しましたが、興味を持って頂けたようなので、CDをお送りすることもお約束しました。
その後、しばらくお話をし、ご一緒に写真も撮って頂き、お別れしました。
翌日には「楽衆玄達」のCDをお送りしましたところ、しばらくして南部さんから手紙と一緒にご著書やCDが届きました。
その著書は自叙伝で、タイトルは『なんぶのもんじゃい!』(アチーブメント出版)。既に読了しましたが、なかなか面白い本でした。
南部さんの何事にも全力で取り組む姿にはただただ感銘を受けます。
本の中の「コーヒー淹れたて『ひとり言』」にはこのような一節があります。身に染みました。
「よく売れないセールスマンっているじゃない? 売れないセールスマンっていうのはね、基本的には、『売れなくてもいい』『認められなくてもいい』と思っているんじゃないのかな。(中略)売れなくても、そこに何も疑問を持たないで、解決するこなく、平気で寝つくことが出来るということ自体が僕には信じられないんだよ。それを僕自身のこととして考えてみれば、大げさでも何でもなくさ、生きている価値がないっていうかさ、きっと僕なら世の中にとって損z内価値のない人間のような気がするだろうと思うね。僕は売れないことに対して平気でいられるような人間にはなりたくない。必要とされない人間だなんてコリゴリだよ。やっぱり必要とされ、認められる人間になりたい。必要とされるからこそ頑張ることが出来るんじゃないか。それからもっと大切なことは、自分の商品を売ることばかり考えていてはダメだと思うんだ。自分の利益しか考えない人は誰からも受け入れられないし、いくら頑張っても全てカラ回りしてしまう。先ず、人の立場に立って考え、相手に貢献することを優先して考え行動すれば、必ずあとで自分に還ってくることは間違いないんだ。相手への貢献度が高ければ高いほど、大きな成果が自分に還ってくるよ。たとえすぐに成果がでなくても、途中であきらめないで継続すること。これが大切なんだ。誰も見ていなくても神様は必ず見てくれているからね。盥の中の水と同じで、自分の方にいくら一生懸命かき寄せても水は逃げていってしまう。逆に水を押し出すと、今度水は自分に向かって寄って来るのと同じだよね」
この文章は南部さんの人生哲学を如実に表していて、とても身に染み入りました。 |
| 第9弾 (H19年5月5日配信) |
【トップエッセイコース9 担当:弊社社長 益永】
件名:セレンディピティ現象ってなに?
米国映画「セレンディピティ」が公開されたのは2001年。日本公開は2002年の秋だったそうです。
内容的にはロマンティック・ラブコメディで、恋人たちの「幸運な偶然の出会い」がテーマだそう。
今年の3月12日放映の日本テレビ系のドラマに「セレンディップの奇跡」というのがありました。たまたま日曜日の昼間でしたか、再放送されたのを見たのですが、オムニバスドラマ3話もので、広末涼子さんがナビゲーター役でした。
3話の内、最後の物語のテーマが同じく「セレンディップの奇跡」で、偶然の出会いの奇跡を扱った物語でした。
このように最近「セレンディピティ」だとか、「セレンディップ」だとかよく聞くわけですが、その由来は一つの物語にありました。
『セレンディップの三人の王子たち』という物語。スリランカの美しい島の王国セレンディップのお話です。そこに生まれ育った三人の王子が、父親の命を受けて「正義の鏡」を取り戻すために旅を続ける途中、いくつもの困難に出会いながらも、偶然や賢明さによって求めていなかったものを見出していく物語です。
この物語を読んだゴシック小説の大家ホレス・ウォルポールが、友人宛の書簡の中で造語したのが「セレンディピティ」だとか言われています。
この「セレンディピティ」は科学的な発見や発明でも、よく使われる概念です。「何かを探している時に、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能」を指して使われているようです。
ただ、科学的発見だけではなく、サントリーの缶チューハイ「-196℃」の開発秘話でも「セレンディピティ」的な要素があったと言う人もいます。
私はこの「セレンディピティ」は科学的な面だけではなく、日頃の私達の日常生活でも十分起き得ると思っています。
では、どうすればこのような「偶然のような幸運」と巡りあうことができるのでしょうか?
「セレンディピティ」を起こしてきた人たちの言葉を調べてみました。
すると、やはり「棚からぼた餅」はないことが分かりました。
でも、問題意識を持って、探し求め続けると、アンテナを立てれば突然に情報が入ってくるようなもので、求めているものが入ってくることがわかってきたのです。
何にもまして重要なのは、意識のアンテナを立てることだったのです。
このテーマは今後も探求し続けていくつもりです。 |
| 第8弾 (H19年4月20日配信) |
【トップエッセイコース8 担当:弊社社長 益永】
件名:編集者・見城徹氏の生き様
新聞広告を見た時には、すぐに書店に注文の電話をしていました。そして、そうして良かったと今、思っています。 株式会社幻冬舎を創業した見城 徹氏の著書『編集者という病い』が、太田出版から刊行されたという記事を見たのです(既にその時は第何刷とか報じられてありましたが)。 幻冬舎の子会社・幻冬舎ルネッサンスさんで、弊社監修の本『ゼロから始めるFX』を出させて頂いているご縁があって、見城社長さんにも興味があったのです。 角川書店を辞めて、「絶対に失敗するという業界の大合唱のなか、幻冬舎を設立したのが1993年11月12日」とあります。 そして1994年3月25日、なんと6冊の同時発売で幻冬社は出発。当日の新聞の全面広告はおぼろげながら覚えています。聞かない出版会社がすごい広告出しているな、と思ったものです。しかも著名な作家ばかり… 五木寛之『みみずくの散歩』、村上龍『五分後の世界』、篠山紀信『少女革命』、山田詠美『120%COOL』、吉本ばなな『マリカの永い夜/バリ夢日記』、北方謙三『約束』の6冊だったのです。 そういった錚々たる作家の皆さんが書いてくれるような人間関係を築いてこられたのが見城社長さんなのです。 見城社長さんは手紙をよく書かれるようです。角川書店時代も、会社に誰もきていない午前中には手紙を書いたりゲラや本を読んだりしていたそう。 会社を設立した当時は一日に二通ずつ書いていたそうです。五木寛之氏の場合も、作品をすべて読み、そのたびに手紙で感想を送っていたそうです。18通目に返事がきて、25通目に初めて会うことができた。 渡辺淳一氏や沢木光太郎氏についても、新作が出版されるたびに感想の手紙を書き、10年の時を経て、それぞれ『愛の流刑地』、『無名』として結実したのだそうです。 『編集者の思い』が余りに面白かったもので、NHK「課外授業 ようこそ先輩」で放映された番組を本にした『見城 徹 編集者 魂の戦士』(KTC中央出版)も購入してしまいました。こちらもまた面白いのです!お勧めです! |
| 第7弾 (H19年4月5日配信) |
【トップエッセイコース7 担当:弊社社長 益永】
件名:セーレン株式会社川田社長ご講演
セーレンさんは来年で120周年を迎えます。今では社員数5600名、売上規模1120億円もの巨大企業に成長されましたが、今から20年前には存亡の危機を迎えられていたようです。 そんな中、突然の指名で弱冠47歳にして社長に就任されたのが現・川田社長さんです。以来、20年間で同社を飛躍的に成長させてのは周知の通りです。 川田社長さんは次の3つの点を目指されました。①繊維産業の「常識」から「非常識」へ、②セーレンの「常識」 従来の延長線では生き残れない、そして③斜陽産業からの脱却。 脱衣料、非衣料を目指す、とこの20年間、同じことを言いながら仕事を続けられてきたそうです。 セーレンさんの経営戦略としては①IT化、流通ダイレクト化、③グローバル化、そして④企業体質の変革を一貫してこの20年間、追求してこられたというのです。その結果、ニュービジネスの比率が90%にもなっているのだそうです。 社員の意識を変えるために、「変えようセーレン、変わろうセーレン」を標語に、ビジョンをマンガで描いて夢を共有したのだそうです。 破天荒な夢や目標は「ねごと!」「できっこない!」と批判されたのだそうですが、挑戦をし続けてこられました。 川田社長さんが言われる「成功の法則」とは、絶えずビジョンを持ち、理念を持ち、大胆な目標を掲げることだそうです。そして、志・夢・ロマンは必ず実現できるのだ。ただ、挑戦し続けることができるかどうかが重要だと言われるのです。 セーレンさんの経営理念は「のびのび いきいき ぴちぴち」です。企業風土、企業文化を変えるためにはということで、経営ビジョン・経営理念の明確化、全員参加による全社員運動展開、人事教育制度の整備、そしてナレッジマネジメントの活用を挙げられました。 行動指針としては、次の7つを挙げられました。①新たな発想・果敢な挑戦、②不可能を可能に、③5ゲン主義(現場、現物、現実、原理、原則)、④3S(シンプル、スピード、執念)、⑤私が主役!仕事はYES指向で、結果は私の責任、⑥やらないか、できないのか、そして⑦Do or Dieだそうです。 とにかく盛りだくさんな素晴らしいご講演でした。 |
| 第6弾 (H19年3月20日配信) |
【トップエッセイコース6 担当:弊社社長 益永】
件名:「豪・ゴールドコーストの旅行」に参加して
3月5日(月)から9日(金)までの岡三証券さんの研修旅行に参加させて頂き、オーストラリア・ゴールドコーストへ行って参りました。 5日は当初夕方15:43発のサンダーバードに乗る予定でしたが、当日は強風のため電車が大幅に遅れたり運休したりしているとのことで、早めの2時頃に福井駅に駆け付けました。 着いてみると、1時間25分遅れで3時頃福井着の電車が、一番早く来る便になるとのこと。構内の喫茶店で時間を過ごして、3時発のサンダーバードに乗りました。 乗ってからは順調に京都に着き、乗り換えの「はるか」を少し待ち、それに乗って関西空港に当初の予定通りの18:51に着きました。 今回は成田発と関空発の2班に分かれており、我々関空班はラウンジにてJTB担当者より説明を受け、搭乗口付近のラウンジに移動してしばらく一服。21:30発のJAL777便に乗って一路ブリスベーン空港へ。 機内ではスナックと夕食、早朝には朝食も頂き、イヤフォンで聞く音楽を楽しみました。ちょうどポップス音楽系では懐かしい曲がいろいろとあり、その頃の思い出がフラッシュバックされました。 ブリスベーン空港には朝の7時頃到着。やがて成田班も到着。 ブリスベーン空港の外へ出ると28度の温度。来ると言われていた台風が来なかったそうで、少し蒸し暑い天候でした。なんでも、今年のご当地は干ばつに悩まされているということで、100年に1回の台風が来ると期待されていたのだそうです。ところが今のところは空振りに終わっているのだとか。 紫外線が日本の4倍もあるということで日焼け止めやサングラスの必要性、そして空気が乾燥しているということで、水分をこまめに摂るよう注意受けました。ゴールドコーストは昨年、会社で旅行したシドニーの北に位置し、コースト(Coast)とあるように海岸に面して長く広がっている街です。ゴールドコーストの中心地で5kmに渡る浜辺は“サーファーズパラダイス”と言われる、まさにシーリゾート都市。車窓から市内を眺めながら「シェラトン・ミラージュ・リゾート&スパ ゴールドコースト」に到着。ここはビーチフロントホテルで、地域の規制で高さはわずか3階しかあるません。しばらく部屋で一服してから、11:30からはシーフードのバイキング昼食を頂きました。 そして13:10にバスでホテルを発ち、マッコ―リ―証券を訪問。高層ビルの10階にあるオフィスで、そこの支店長の説明を聞き、執務風景を見学しました。 その後、すぐ近くのソフィテルホテルの会議室に場所を移し、マッコ―リ―証券経済調査部長であるリチャード・ギブス氏による「オーストラリア経済およびビジネス環境のご紹介」という講義も受けました。 マッコ―リ―グループは世界24ヵ国に約8600人の従業員を擁する企業グループで、1969年にヒル・サミュエルのオーストラリア子会社として設立されたのだそうです。金融・投資銀行サービスを提供する国際的な多角化企業で、オーストラリアのシドニーに本拠地を置いているのだとか。キブス氏の講演によりますと、オーストラリア経済は今なお16年連続の拡大を記録し続けていて、輸出は鉄鋼およびエネルギーセクターで伸びているのだそうです。また失業率は歴史的な低水準になってきており、インフレも適度なレベルに落ち着いてきていると。従って金利は依然30年ぶりの低水準で推移しており、豪ドルは高利回り通貨群のトッブから後退していると。特筆すべきは財政黒字によって経済が安定していることと、政府に現在負債がないということ!日本の現状を思うとまさに驚きです。実は関空で国際携帯電話を借りる手はずを整えていて、実際借りたのですが、それはホームページ上の「社長日記」を更新するためでした。しかし出発の数日前にメールはできないことが判明しました。岡三の友好証券部に相談させてもらったところ、岡三さんはメールも送れる携帯を持っておられるということが判明しました。そこでそれをお借りしてメールを本社に送ったのですが、残念ながらカメラ機能はなかったのです! さて、15:40頃にホテルを出てバスで数分の所にあるのが「Q1」という、居住用マンションとしては世界最高層ビルと言われている建物。その展望ルームへ行くことに。何でも南半球最高の高さを誇るラグジュアリーアバートメントだそうです。 エレベーターで77階にはあっという間に昇ってしまい、そこから見える360度の眺望は圧巻でした。岸に沿ってリゾートマンションがずら~っと林立しています。展望ルームの喫茶コーナーでは建物を模したケーキとコーヒーを頂きました(ケーキはまた甘くて大きいこと!)。 ホテルに5時前に戻ってからは、また一服してから、6時半からホテル内で「ウェルカムパーティ」です。 楽しく歓談しながら美味しいお食事を頂きました(ただ、どれもボリュームが多すぎて、最後はギブアップ状態でしたが…)。 途中、一人ひとりが前に出てスピーチすることになり、その話の内容でまた場が盛り上がりました。 結局、8時40分頃にお開きとなりましたが、皆さん口々におっしゃっておられたことが、「一日が大変に長く感じられた」ということでした。機内での一泊があったため、丸二日間がつながって体感されたからだと思われます。 私はその後、部屋でせっせと旅日記を日本から持ってきた携帯電話に入力しました(戻ったら送信だけすればいいようにです!しかも早く打っておいた方が忘れませんし…)。 翌朝は朝食をとった後、3班に分かれて行動しました。当初は「グリーンマウンテンツアー」ということで、4WD車で世界遺産を巡る旅を行う予定でしたが、当日の気象状況を鑑み別のコースを用意して頂きました。 私は朝9時半発の動物園コースへ。他にはエステティックで、顔&ボディコースとボディのみのコースがありました。結構、男性のメンバーもエステコースに行っていたようです。 動物園コースはバスで移動し、「カランビン・ワイルドライフ・サンクュアリ」に10時過ぎに着きました。あいにくの雨模様で時々シャワ―が降りましたが、コアラを抱っこして写真を撮ったり、カンガルー親子に餌を与えたり、列車に乗って園内を周ったり、「バーズ・ショー」を見学したり、バスガイドの説明を聞きながら見物をして歩きました。驚いたのは「キノボリカンガルー」で、まさかひょいひょいと木登りをするカンガルーがいるとは…。ちょうど私たちの目の前で上手に実演して見せてくれました。落ちないのかと冷や冷やしながら見ている私たちの心配は無用だったようで、揺れる細い枝もへっちゃらで渡り歩いていました。 12時20分頃に動物園を出て、バス移動で昼食会場である「天賓魚麺」へ。美味しい飲茶料理を頂いた後は、13:45に出て近くの免税店へ。私はささっと買い物を済ませてしまい、向かいのショッピングセンターへ。1階の喫茶店でコーヒーを頼んで、「社長日記」のメールを一人黙々と打ったりしていました(それから社内報用や誕生日カードポエムの原稿も…)。この地域一帯は「サーファーズ・パラダイス」と言ってホテルやお店、飲食店が固まってある所のようです。行きはしませんでしたが、あの大橋巨泉さんが経営するお土産物店「OKストア」もバス車窓から見えました。 15:45に免税店前で集合して、またバスでホテルへ戻りました。 しばらく一服してからホテルを6時に出て、バスで夕食の会場「ホテル・クラウンプラザ」内のレストラン「RPR′s」へ。なんでもこの建物は、ちょっと前までは松下興産の所有だったそうですが、最近転売されたのだとか。 こういう食事の場では、普段聞けないような話を皆さんから聞けて、こういう機会も有意義なものだと改めて認識した次第です。 20:15にクラウンプラザを出て、向かったのがホテル・コンラッド内にある「ジュピタ―ズ・カジノ」。ブラックジャック、ルーレット、バカラなど90のゲームテーブル、1100のゲームマシンを有する24時間営業の豪華カジノ。到着したのが20:30で22時までの1時間半という約束で各自思い思いのゲームに散らばって遊びました。 私は一応、時間いっぱいまで楽しませて頂きましたが、授業料(遊び代)を払ってきました。 ホテルへ戻るバス上で皆さんの話を聞いてみると、お一人が約2万円儲けられたようでしたが、後は総じてトントンか残念な結果だったようです。 約20分かけてシェラトンに戻り、ゴールドコースト二日目の長い一日が終わりました。 翌朝は嬉しいことに外は晴れ模様。9:15にホテルを出発して歩いてハーバーへ。クルーザーに乗り込み、内海を周遊しました。 岸辺にはヨットの乗り場付きの高級住宅が並んでいます。数億円クラスの物ばかりで、中には14億円もするという物件を拝ませてもらいました。青い空、白い波、心地良い風、そしてちょっと暑い位の日差し。快適なクルーズを堪能させて頂きました。その日の朝のニュースによると、福井をはじめ北陸地方は季節外れの大雪とのこと。こちらは暑くて日焼けしそうな天気であるわけで、申し訳ない気持ちになりました(実際、日焼けしてしまい、その晩はおでこがヒリヒリ!)。昼食は和食レストラン「初花」へ。久しぶりの和食であるわけで、刺身や散らし寿司も入っていて、大変に美味しく感じました 食後は「シーワ―ルド」見学班、昨日に引き続きの「買い物」班、そしてゴルフ場見学班の3班に分かれましたたが、私はシーワ―ルド見学を選びました。 入場すると、ちょうど「水上スキーショー」が始まったところで、まずはその観覧から。ユーモラスに、また優雅に、さらにはアクロバチックに、素晴らしい妙技を見せてもらいました。 続いては世界最小と言われる「フィリップ・ペンギン」を鑑賞。ゼンマイ仕掛けで動くおもちゃのように小さく可愛かったです。 園内を走るモノレールに乗って移動し、水族館へ。青い水槽内を泳ぐ色とりどりのトロピカル・フィッシュは圧巻で、久々で水族館を楽しませて頂きました。 白くまを見て、「アシカのショー」を見た後は今度は「イルカのショー」。ガイドさんが言われる通り、なかなかのエインタテインタメントとなっていました。 ホテルに戻って一服してからは、17:30に再びバスに乗って夕食会場である“The Villa”へ。6時過ぎに到着した所はさながら豪華な邸宅といった感じの場所で、ここで「フェアウェルパーティ」の開催です。 株式会社ニフティさんの所有だそうで、広大な敷地に邸宅とゴルフ場10ホールがあるようです。結婚披露宴やパーティに貸して欲しいという要望があったりして、貸し出しするようになったのだそうです。 1階に入るとウェルカム・ドリンクが振る舞われ、ピアノの生演奏が私たちを迎えてくれました。 途中、今回お世話頂いたJTBの添乗員の方が、旅行中のスナップ写真をスクリーン上で映して下さったり、男性3人のグループによる生演奏があったりとか、大変に趣向がこらされたものでした。 バンドのメンバーと一緒に歌ったり、踊ったり、そして最後には記念撮影をしたりして、場は非常に盛り上がりましたが、今回の旅行スケジュールも終わりに近づきました。素晴らしい余韻を残しながらフェアウェルパーティはお開きとなりました。 バスで戻ってホテルに着いたのが9時過ぎで、観光最後の日は終わりました。 最終日の9日は早朝4時にモーニングコールが入り、5時までにフロントに集合し、出発。ブリスベーン空港へと向かいました。 6時15分頃に到着し、空港でおにぎりを頂きながら時間待ち。その後JAL762便で一路成田へと向かいました。成田空路では流れ解散となり、皆さんはそれぞれの乗り継ぎへ。私は小松空港へと再び飛びました。その後、バスで移動し、無事10時20分頃に福井に戻ることができました。 |
| 第5弾 (H19年3月5日配信) |
【トップエッセイコース5 担当:弊社社長 益永】
件名:いつも率直・坪川常春先生ご講演
2月23日(金)の夜行われた会合での講師は元・福井新聞社論説委員で現在はフリーのジャーナリストである坪川常春さん。
私は坪川さんのお話は過去に2度ほど拝聴しておりますが、いつもの率直で大胆な論調には注目させて頂いております。
今回のテーマは「激変する経済 経営者はどう変わるべきか」で、主に今後の政治・経済や世の中の流れを予測されました。
以下、箇条書きで要旨をご紹介します。
・市町村合併で3,200が1,800まで減ったが、まだ村が残っている。
50年後の日本の人口は、現在の12,700万人から8,000万人にまで減る
予想が出ているし、福井は無くなっているだろう。
・道州制への移行が見込まれ、次の選挙か、あるいはその次の選挙で
知事選は終わりだ。12年後には福井県も福井市もなくなっている。
それだけ財政が駄目だということ。北海道は特区として残る。
・消費税は15%を視野に入れないといけない。これからはイソップ物語
の狼になって、時々消費税アップの話題を敢えて何度も出してくるだろう。
国民が聞き飽きる状態をつくるためだ。
・来年一杯は消費税が上がる直前で、駆け込み需要のために売上げは一気に
あがるだろうが、21年4月1日からは商売にならなくなる。
・あと2年位でガンが治る時代に入る。陽子線治療を使って治すようになるのだが、
健康保険は使えない。
・これからは融資も無担保・無保証の時代に入る。
・開業医はこれからは大変だ。
・デフレの時代は終わり、これからはインフレの時代になる。
・常に攻めの姿勢が大事だ。 |
| 第4弾 (H19年2月20日配信) |
【トップエッセイコース4 担当:弊社社長 益永】
件名:ワイキューブ安田社長の講演要旨
株式会社ワイキューブ代表取締役・安田佳生氏の講演テーマは「中小企業がこれから勝ち抜くために」でした。
安田社長は1965年大阪府生まれで、18歳で渡米しオレゴン州立大学で学びました。
帰国後にリクルートを経て1990年にワイキューブを設立。主に中小ベンチャー企業を対象に業績向上を目的にした経営・人材コンサルティング事業を展開しています。
著書も多く、最新刊の『千円札は拾うな』(サンマーク出版)は30万部を突破する売れ行きとなっているようです。
安田社長によれば、経営手法には移り変わりがあって、物が無い時代は作れば売れたわけで、「作る経営」だったと。それが物はあるが情報が無い時代へと移り、営業力があれば売れる時代になった(売る経営)。セールスの腕次第で売れ行きにかなりの差が出ました。しかし、今や物も情報も溢れる時代になり、これからはお客様をひきつける魅力がないと売れない時代になっている、と言うのです(選ばれる経営)。どの商品も原則良いのであって、力で売る場合ではないと。
日本の消費者は世界で一番成熟している存在であって、口が肥えているし、サービスにもうるさい。ある意味、一番最先端を行っている、と。
我々は選ばれなければいけないわけだが、そのためにはコストを削減して商品価格を下げる方向と、価格以外の魅力を作り出す方向があるというのですが、価格を下げるにはスケールメリットが必要で、資本がないところは勝てないわけです。
これまでのような社員の人数に比例して売上げが上がるようなシステムがダメなのは、高齢化でこれから人口が減ることは間違いないからだと。
いずれにしても、商品価格を下げることは、結局は低収益体質になってしまうと。
一方の価格以外の魅力を作り出すことこそが、ネオ中小企業が選ぶべき道であると安田社長は主張されます。
ネオ中小企業になるための戦略を、「短期戦略」、「中期戦略」そして「長期戦略」に分けて説明された。
まず「短期戦略」では、高くで良い商品、高くて普通の商品(日本ではもう悪い商品はないのだそうです)、安くて良い商品、そして安くて普通の商品のマトリックスで言えば、安くて良い商品は利益が出ないし、安くて普通の商品を作り出すためには資金力が要ります。高くて普通の商品は営業力が要るし、クーリングオフなどの精度もあってなかなか難しい。
勢い高くて良い商品にならざるを得ないわけで、ターゲットは小さくしてブランド力をつけるしかないというわけです。
今まではものを言った「営業力」はメリットがなく、例えば家の場合は営業マンよりも設計士の方が売れる時代になっている。これからはスキル、知識、提案力が必要になるというわけです。
「中期戦略」については、元来、変化に強いのは小さい存在で、生物学的に言えば、生き残ったのは小さい生き物だ。例えば車が要らない世の中になったらトヨタはどうするのかと思う。
顧客選択のマトリックスは上下が好き嫌い、左右が販売量の多い少ないことだとすれば、販売量が少なくて嫌いなのは「客」、販売量が少なくても好きなのは「お客さん」。また、販売量が多くても嫌いなのは「お客さん」、販売亜量が多くても嫌いなのは「お客様」(ただし、安田社長はここは切らざるを得ないとされました)、販売量が多くてなおかつ好きなのは「神様」ということになり、当然ですが、 こちらを増やさないといけないわけです。
「中期戦略」で重要なことはブランドの構築だというのです。広報にはDM、紙媒体、それにネットなどがありますが、広報の切り替えをしっかりしなければならないというのです。つまり、お金を払っての広告ではなくて、記事によるパブリシティを増やすことです。
お金を払っての広告ではなくて、記事によるパブリシティを増やすことだと。テレビCMよりは、テレビのニュースに取り上げられることの方が効果があるというわけです。
そのためにも大事なことはネタ作りで、同時にメディア担当者とのパイプ作りが肝要であるというわけです。
ブランド構築におけるネタ作りは、不必要なもの、理解できないもの、そして嫌われるものとされましたが、それ以上の詳しい説明はありませんでした。
最後の「長期戦略」は、人材による参入障壁づくりだそうです。新卒採用からスタートして現場力を身につけるまでに5年、マネジメント力が10年が10年、そして経営力が20年とすると長期的な戦略になるが、やはり人材育成が最大の参入障壁になるというのです。
人材力で勝つには、一つはターゲットの設定、そして役割分担、最後に会社の魅力度アップだというのです。
ターゲット設定とは、どのような人材を採用するのかで、役割分担とは学生を口説く上での3つの必要な役割です(つまり、スターター、セットアッパー、そしてクローザー)。
最後の会社の魅力度アップとは、ビジョンであり、世の中を仲間とどうしたいのかということだというのです。
まとめとしては、社員に投資することで満足度がアップして、それで入社したい人も増え、良い会社になるという好循環を回していくことが大事である、といういことでした。
短期戦略としての売れる仕組み作り、中期戦略としてのブランド構築を進めながら、長期戦略としての人材による参入障壁づくりをしていくべきだというのです。
最後に安田社長が言われた、短期戦略の積み重ねがイコール中期や長期戦略ではないという話は納得がいくものでした。
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| 第3弾 (H19年2月5日配信) |
【トップエッセイコース3 担当:弊社社長 益永】
件名:旨いラーメンの話エト・セトラ
ある会合で知人から出た言葉が
「あのホテルのラーメン屋さんが廃業するって知ってるけ?」
「えっ、あのホテルの2階にラーメン屋さんがあることすら知らなかったわ」
「後継者がいないんやと。残念やわぁ、あそこの味は絶品やのに、国宝級やと思うのに…。今月までやとざ」
「ほんとけ? ほな、早う行かなあかんな」
という会話が交わされました。(これほどになまっていたかどうかは別として)
実はそこのホテルは3階にロビーが、そして4階に宴会場があり、いつも2階は素通りしていたため、気付かなかったのです。社内の数名に聞いても、皆一様に「知らない」という返事でした。
いずれにせよ、ラーメン大好き人間の私としては、無視できない情報です。
その後、日をおかずしてその店を訪ねました。確かに入り口に「今月一杯で閉店する」云々の張り紙が貼ってあります。
椅子に座って、早速「中華そば」をオーダー。昔ながらの素朴なお味といった感じかな、つゆが独特だな、などと思いながら頂いていると、私の肩をトントンと叩く人が…。
見上げると、そこには知人のMさん。私が、実は初めて今日ここに来ていて、来るに至った理由などをお話すると、「僕はここ6日間で5回来ている」とのこと。続けてある地元の著名な企業の社長さんの名前を挙げて、「あの人もここのファンなんや」と。
私は「知っている人は知っているのだな」と納得した次第です。
ただ、その後、そのお店のことを知っているという人が一人出てきました。会社に古くからいる人でその人によれば、「ホテルに入る前、一軒のお店として営業していた先代の時の方がもっと美味しかったんやけどなぁ」と。
げに食の好みとは難しいもの。それぞれの好みに合ったものが一番であるに違いありません。
一つのお店が静かに歴史の幕を閉じようとしています。 |
| 第2弾 (H19年1月20日配信) |
【トップエッセイコース2 担当:弊社社長 益永】
件名:毎年の会社のテーマに込める思い
昨年からその年の会社のテーマとも言うべきものを決めるようにしています。ちなみに昨年は「2006年 挑戦・飛躍の年」でした。
確かに「挑戦」の年だったと思っています。一昨年の暮れに立ち上げた新会社・益茂ベンチャーキャピタル株式会社が事実上スタートした年。女性の文化サークル「すずらんの会」を立ち上げ、3回の集いを開催した年。そして、11月には新事業「MASUMO FX」をスタートさせた年でした。
昨年の暮れに「さて明年は何にしようか」と考えた時に、「そうだ、社内の皆にも一緒に考えてもらおう」と思ったのです。2006年は私の思いだけで決めました。2007年も同じようにしてもいいのですが、その前に一度考える時間を持ってもらおうと思ったのです。
その結果、出てきた案は18人から28個。
実は、昨年、それまで制定していた経営理念を、社員参画のもと作り直したのですが、その理念に沿った案が多く出てきました。
例えば「夢と感動の年」、「感動・創造の年」、「夢・実現の年」とかです。
確かに美しいテーマですし、会社が新しく掲げた経営理念でも「夢」や「感動」を謳っていますから、無理のない話です。
ただ、まだまだそのような理想の状態で行くまでには「挑戦」しなければならない点、「変革」しなければならない点が多々あるということで、2007年は「挑戦・変革の年~内から外から~」ということにしました。
そして、「成長・革新の年」という案を出した人に、ニア・ピン賞ということで図書券を贈呈しました。
「~内から外から~」とした理由は、制度面でも変革を目指すのは当然としても、私たち一人ひとりの「内から」の変革が全ての基本になるとの認識からです。
このように決められたテーマは社内メールなどの枕詞として使われていて、常に私たちが思い起こすことになります。
引き続き「挑戦」としましたように、今年も「新たな挑戦」が始まることと思いますし、同時に、私たち役職員が内からの自己変革も目指して参りたいと思っております。
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| 第1弾 (H19年1月5日配信) |
【トップエッセイコース1 担当:弊社社長 益永】
件名:ロッキー田中さんとお会いする!
知人から写真を頂いて初めてその存在を知ったのが富士山の写真家・ロッキー田中さん。
その頂いた写真のテーマは「黄金の海」でしたが、その写真の背景を聞いて感動しました。黄金の海のように見えるのは実は雲。太陽の光に照らされて輝く「黄金の海」のように見えます。
でも、雲の下は雷雨でした。雨の中をたゆまず諦めずに歩き続ける者のみが、やがて雲を突き抜けて「黄金の海」を見ることができる…。この写真の背景にはそのような意義が込められているのだそうです。
ホームページで「ロッキー田中のときめきの富士」を見ると、アルバムには素晴らしい富士山の写真の数々…。どれもこれも美しく息を飲むような作品。そしてプロフィールを見ると、なんと福井県のご出身! 存在を知らなかった自分が恥ずかしい。
ロッキー田中さんのことを知ってからすぐ後の11月29日のこと。
たまたまちょっとテレビを点けてみようかなと思って見ると、「ベストハウス123」という番組がやっていました。その「富士山の究極絶景に涙・感動…」というコーナーで、ナンバー1として紹介されていたのが、ロッキー田中さんの作品でした。写真の下に小さく「ロッキー田中」と出ているのを見た時は喝采を上げました。
その写真は後で知ったところによると「いのち無限」というタイトルで、富士山が湖面に映っていて、頂上から太陽が出ようかとしている瞬間で、頂上と湖面に映った頂上の上下両方から光が放たれていて、あたかもダイヤモンドのように見える光景です。
ロッキーさんの写真を頂き、そしてテレビでもそのお名前を拝見し、ますます興味が高まっている時に、写真を下さった知人がロッキーさんを紹介してあげると言って下さいました。
東京へ出張するタイミングでロッキーさんとのアポイントを取って頂き、12月25日の午後1時過ぎにロッキー田中さんのアートサロンへ伺いました。
ロッキーさんは握手で歓迎して頂き、私は同じ福井県の出身であることを申し上げました。それからはしばらく歓談をさせて頂きましたが、ロッキーさんが数年前にどん底を経験したことを初めて知りました。でも、富士山の写真を通じて人々に喜びを差し上げたいと思うようになってから状況が変化し始めたとのことでした。
ロッキー田中さんは、とても謙虚な方で、感謝の言葉を度々おっしゃっておられました。
最近では『爽快』という健康雑誌の本年1月号で、ロッキーさんの写真が紹介され、「願いが叶う富士山の写真」という特集が出たのだそうです。何でも富士山の写真にはパワーがあって、色んな願いが叶うというようなことが体験談を交えて書かれてあるのだそうです。
その雑誌が出てからはまた、写真の注文が全国から殺到するようになったのだとか…。
私はせっかくの出会いの記念に「いのち無限」の写真の購入をお約束して帰りました。
例のテレビで紹介された作品で、ダイヤモンドのような輝きを発している光景です。
命の輝きを感じさせてくれるところから、その命名なのでしょうか…。
写真はそれから二日後に会社に届きまして、「黄金の海」とは違う場所のオフィスに飾ってあります。
是非とも、この写真から「無限のいのち」のパワーを頂き、その力で山を登攀し、「黄金の海」を見てみたいものだと思います。
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