トップエッセイコース PC用 2008年(H20)1-6
担当者 弊社社長 益永

…出会った経営者、感動した事柄や、折々の思いを執筆

     
第12弾配信 ベトナム・ハノイ視察旅行  
第11弾配信 ひょっとしたらNHK全国放送に  
第10弾配信 夕方テレビ番組を突然襲撃す  
第9弾配信 ガラにもなくラジオ出演相次ぐ  
第8弾配信 天才ピアニスト・徳永雄紀さん  
第7弾配信 滝に打たれる気分の現地審査  
第6弾配信 第10回産官学・異業種交流会  
第5弾配信 ブログやメルマガの威力  
第4弾配信 「モーニングセミナー」で講話  
第3弾配信 『「ひらがな」な社長の毎日。』  
第3弾配信 『「ひらがな」な社長の毎日。』  
第1弾配信 「東尋坊 命の灯台」茂幸雄さん  
 
第12弾 (H20年6月20日配信)

【トップエッセイコース12 担当:弊社社長 益永】
件名:ベトナム・ハノイ視察旅行


  6月5日(木)から9日(月)までの見出しの旅行に参加させて頂きました。
  5日は午後12時半に福井駅東口を専用バスで出発。総勢14名で関空を出発。約5時間のフライトの末、ハノイ空港に着いたのが現地時間で夜の10時、日本時間で12時(時差は丁度2時間)。
  バスに40分程度乗ってホテルニッコーハノイへ。部屋に入ったのが日本時間で言うと2時近くでしたから、長い一日でした。
  翌朝はホテルで朝食をとってから9時にバスで出発。10時前にキヤノン・タンロン工場に到着。景山社長、櫻井ゼネラルマネジャー、川崎アシスタントマネジャーらに迎えられ、まずは会議室にて会社概要の説明を受けました。
  景山社長は2001年に赴任してくるまで、ベトナムのことと言えばベトナム戦争くらいしか知らなかったのだそうです。
  でも、こには懐かしい光景が広がっていて、「まるで『三丁目の夕陽』の世界にタイムスリップしたみたいだ」と語られていました。「エネルギーが溢れた魅力のある国」と表現されていました。
  続いて櫻井さんがベトナムや会社の概要を説明されました。
  ベトナムの面積は九州を除いた日本の面積に相当するそうです。人口は約8500万人でアセアンでは第二位。国民の半数が30歳以下という若い国です。
  経済成長はほぼ10%の高さですが、物価上昇もすごく、年初からでも18%も上昇しているのだそうです。
  共産党の一党独裁やながら、穏健な合議制で政治は安定しているのだそうです。
  日系企業は千社を超えており、ハノイだけでも200~300社あるとか。人件費は中国の半分以下。
  日系企業のベトナム進出の目的としては、①中国集中リスクを避けるための第2、3拠点として、②中国よりも安い人件費を享受する労働力集約型としてがあるようです。
  キヤノンさんはベトナムではここタンロン、そしてクエーボ、さらにはティエンソンに工場があるようです。ベトナムからの輸出品ではキヤノン製品が一番だとか。
  キヤノンベトナムは2001ね4月の設立。従業員数は3工場合計で約13,000人(内、日本人88人) 。タンロン工場で作っているのはインクジェットプリンターだそうです。
  当工場の重点課題は、キーパーツの内製化什器・工具の内作推進、現地人の育成登用、ベトナム国内の拡大、そして社会貢献活動で、これらを通して世界最廉工場の実現を目指しているそうです。
  工場内では写真撮影は禁止であるため、外で記念写真を撮りました。
  続いてはすぐお隣りのタンロン工業団地事務所へ。
  そこでお弁当を頂いてから、工業団地についての説明を受けました。
  同団地は住友商事が開発し、入居企業は82社。現在、第三期工事に入っています。
  ベトナム人は識字率が全土で93.4%であり、手先が器用であること。安い賃金で勤勉な労働力が豊富に得られるとしています。
  続いては2社目の会社訪問でパーカー加工ベトナムさんへ。  同社は日本パーカライジング㈱グループのパーカー加工㈱の100%子会社で、2000年にタンロン工業団地の第1号進出企業として設立されました。
  ベトナムではまだ数少ない表面処理・熱処理の専門会社であるようです。
  工場内を見学させてもらいましたが、社員の皆さんが一様に我々に「こんにちは」と言って下さることにはびっくりしました。
  また外で記念写真を撮ってからは、一旦ホテルに戻って40~50分の休憩タイム。
  再び集合して、バスで「水上人形劇場」へ。水面をステージにして、農村の生活や伝承などを操り人形で演じる伝統芸能です。私は鮒谷周次さんのメルマガでその動画を見たことがあります。
  どういう仕組みでなされているのだろうと思いながら見ていましたが、最後になって、操り師が登場したのですが若い男女であることにびっくり。ずっと腰から下を水につかりながら、一日数回演じるのですから、かなりの重労働です。
  西洋人らしい観光客の姿も多数見られました。
  会場を出てからはまたバスで夕食のレストランへ。ここではベトナム料理を味わわせて頂きました。
  二次会は同行の方のお奨めにより「しゃがーる」というカラオケ屋へ。
  歩いて帰れる距離だということで、ホテルへ歩いて戻ったら10時半頃になっていました。
  翌朝は前夜、会社からメールで届いた宿題(お客さん宛の「ひらがな名前入り和歌」12題)に取り組み、メールで送り返してから朝食。
  午前8時にまたバスで出発。この日はハロン湾に向かいます。途中、お土産屋さんに寄って3時間45分後に到着しました。世界遺産に認定された景色で、青い海面から大小幾千もの奇岩がそそり立っています。ガイドさんの話では航空写真で1969個確認できたのだとか。
  ハロンとは“龍が降りる地”という意味だそう。素晴らしい景観はまさに“海の桂林”と称されるだけのことはあります。
  奇岩の間を縫うように巡るハロン湾クルーズに乗船し、船内レストランで昼食を堪能しました。
  途中、船の上で暮らす人々のいかだを発見。100人くらいいて、ちゃんと学校もあるのだそうです。
  生活は海で採ったものを観光客に販売して成り立てているのだとか。
  我々の船も、そのいけすに寄って実際に魚を購入し、早速船上で料理してもらいました。
  それからまたしばらく航行して着いたのが鍾乳洞。発見されたのが15年前ということで、まだ比較的新しい観光地ですが、西洋人らしい観光客の姿大勢見掛けられました。
  鍾乳洞の中は秋吉台とはまた違ったスケールのあるものでした。
  歩いて登り降りして汗をかいてから、再び乗船し戻ります。
  岸に着いてからはバスに乗り、途中またお土産屋に寄りながらホテルに着いたのが夜の7時20分。半からはホテル内のレストランで中華料理を頂きました。
  翌朝8日(日)は朝食後に、旅の仲間と一緒に散歩へ。ホテルの近くにある湖を囲んだ公園へ行ったのですが、朝から人の多いこと、多いこと。
  グループで音楽に合わせてダンスをしていたり、リズムカルに踊っていたり、ヨガらしきことをしていたり、あるいは瞑想していたり。もちろん屋台で食事をしていたり。とにかく大勢の人がそれぞれに楽しんでいるといった感じでした。
  公園の中もそうですが、町中のいたるところで見られるのが食事を出す屋台。外で皆さんお喋りをしながら食べています。
  町中を走るバイクの多さも周知の通りで、バスと車と自転車と人が入り乱れて動いています。
  よく事故が起こらないものだと思うのですが、車とバイクは朝から晩までクラクションを鳴らしながら、川のように走っています。
  ベトナムでは人のバイタリティのようなものを感じます。生活は優雅ではないにしても食べてはいけるようですし、生き抜くタフさがあります。
  そんなことを思いながら、旅行最終日は散歩の後は皆でハノイ市内観光です。
  まずはホーチミン廟訪問で、外からずらっと人が列をなしていることにびっくり。
  我々は観光客の特権でしょうか、検査を通ってから(カメラ、携帯電話は持ち込み禁止)、長い列の途中に入らせて頂きました。
  中に入ると厳重な警備に守られてホーチミンの遺体がガラス張りの大きな箱の中に安置されてありました。
  学生のグループらしい集団の姿も見られ、普通の日でもいつも列ができているというのですから、いかに故ホーチミンが国民に尊敬されているかが分かります。
  次は孔子廟や場所を移して国子舘大学跡を見学したりしてから、ハノイホテル内のレストランで飲茶の昼食を頂きました。
  昼食後はホテル内施設であるカジノへ行ったのですが、思いのほか小さいカジノでした。
  私はしばらく見学だけしてから、他のメンバーと一緒に市内をブラブラと散策しました。
  夜の6時に集合して、夕食をしてからハノイ空港へ。深夜11時発のベトナム航空948便に搭乗して明朝、日本時間6時頃関空着。バスで福井駅東に戻ったのが10時半頃でした。こういう機会でもなければ、なかなか行けない海外旅行。
  楽しい思い出ができました。

第11弾 (H20年6月5日配信)

【トップエッセイコース11 担当:弊社社長 益永】
件名:ひょっとしたらNHK全国放送に


  NHKの取材は5月19日(月)でしたが、事前の打合せは15日(木)にありました。事の発端は、福井県が「家庭の日」(毎月第3日曜)の翌月曜日を「放課後活動定休日」としたことがあります。女性の就業率、そして共働き率が共に全国トップという福井県ですが、父親と家族とのふれあいの時間が少なめという傾向にあるそうです。そこで県内全ての公立小、中、高校において、クラブ活動や委員会などの放課後の活動を行わず、学校から子供が早く帰る日を設けたのが
「放課後活動定休日」です。
  一方、弊社では毎年行っている「社員満足度アンケート」に、定時退社日を設けてほしいという意見があったことを受けて、役員会でちょうど検討していた時でした。
  県の施策を受けて、毎月第1金曜日と第3月曜日の2日間を定時退社日と決めて試しに実施してみることとしました。
  そういう流れを受けて、NHKの取材班は、福井県の取り組みと同時に民間企業の実施現場も取材することになったようです。
  ご縁があって取材企業として選ばれた弊社ですが、当日は私のインタビューから始まり、6時になって私が社員を促して帰らせる場面、そして総務の男性がマイカーを運転して帰る様子、家で家族と夕食を共にする場面などが収録されたようです。
  放映日は6月13日(金)の午後7時半から8時45分ごろまでと聞いておりますが、果たして登場するでしょうか。しても数分だとは思いますが、ちょっと恥ずかしいような気がいたします。

第10弾 (H20年5月20日配信)

【トップエッセイコース10 担当:弊社社長 益永】
件名:夕方テレビ番組を突然襲撃す


  私はもう後片付けでもされているのかと思いながら西武前の現場に近づいたところ、まだ生中継中であることが分かりました。
  そしてそこで意外な方と再開したのです。以前、「たんなん夢レディオ」に出演させて頂いたところ、そこでお手伝いをされていたのが県内大学のある女子学生さん。
  そういうご縁もあって、弊社にも採用面接に来て下さったのですが、もともとはテレビ局志望の方であることは存じていました。
  その後、福井テレビさんで採用が決まったとお聞きして、私も喜んでいたのですが、あの場で約1年半くらいぶりにお会いするとは思ってもいませんでした。
  すると彼女がスタジオのディレクターに連絡をとられたようで、すぐに私の生出演が決まってしまいました。
  イヤホンとレシーバーを慌ただしく渡されて、私は耳につけたり、背広のポケットに入れたりしました。次にはそこに置いてあった拙著を渡され(紹介の時に使ったのでしょう)、カメラの前に押し出されました。
  レポーターである圓山詩織さんの側に立って、スタジオのアナウンサーのお二人との話が始まりました。 
  私はまず「突然の乱入」のお詫びをしました。本当に番組が終わった後にご挨拶だけするつもりだったのです。ところが、番組進行を狂わす「番狂わせ」をさせてしまったことを申し訳なく思っていました。
  女性アナウンサーの方が、私からハガキをもらったことがあると仰いましたが、確かに以前会社のイベントで司会をして頂き、その後お送りさせて頂いたことがあるのです。
  しばらくスタジオとの対話をさせて頂いたわけですが、本当に冷や汗ものでした。
  会社への帰り道、ふと気がつくと額に汗が流れていることが分かりました。急いで現場へ駆けつけたからでしょうか、それとも急に番組出演となったからでしょうか。
  いずれにしましても、本のキャッチコピーではありませんが、「ズッコケと冷や汗の毎日」です。
  本当におっちょこちょいな私です。

第9弾 (H20年5月6日配信)

【トップエッセイコース9 担当:弊社社長 益永】
件名:ガラにもなくラジオ出演相次ぐ


  わずか1週間位の間に3局のラジオ番組に出演させて頂くことができました。
  まず4月21日(月)には福井街角放送「それ行け!ひょうたん島」に夕方出演。
前田和葉さんがパーソナリティで、事前に拙著『「ひらがな」な社長の毎日。』をお読み頂いていました。「読みやすかったし、励まされた」との温かいお言葉で私の方こそ励まされました。
  続いての26日(土)には、たんなん夢レディオ「夢ぽけっとあいうえお」に。午後1時からの1時間番組に出演させて頂き、こんな長いオンエアは初めてでした。
  パーソナリティの東真美子さんも事前にお読み頂いていて、私に似顔絵イラスト入りのハガキを送って下さっていました。すぐに「ひらがな名前入り和歌」を送らせて頂いたのですが、その後も何度かやりとりをさせて頂いています。私の手元にはイラスト入りのハガキが8通くらいあります!
  事前に好きな音楽のCDも持ってきて欲しいと言われていましたので、車中で時々聞いている「中島みゆき」を持参。
  話の合間に2曲おかけ頂き、東さんの進行により楽しく会話をさせて頂くことができました。
  そして3局目が福井エフエム放送「ボンジュール!コーヒーFM」でした。
飴田彩子さんのナビゲートで、こちらも楽しく対話のキャッチボールを。飴田彩子さんは本の朗読等でも有名で、ゲーテの詩朗読コンテストでは第23代目チャンピオンになられたとがおありだとか。
  そんなことで光栄にも3つのラジオ局に出演させて頂き、3人のチャーミングなパーソナリティとお話しをさせて頂くことができました。
  その上に拙著(『「ひらがな」な社長の毎日。』)の宣伝まで!
  ありがとうございました!

第8弾 (H20年4月20日配信)

【トップエッセイコース8 担当:弊社社長 益永】
件名:天才ピアニスト・徳永雄紀さん


  徳永さんに弊社の全社員大会で弾いて頂いたのは、ベートーベンの「月光ソナタ第1楽章」、ショパンの「英雄ポロネーズ」や「ソナタ第3番 第1、4楽章」、そしてガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」でした。]
  私たちにも馴染みのある曲をと、お願いしてありました。
  初めて演奏をお聴きしたわけですが、楽譜も見ずに弾いていかれる姿に驚かされました。そして、その流麗な指さばきにも。
  そんな徳永さんの家庭環境ですが、お祖母さん、そしてお母さんともにピアノ教師だそうです。新聞の記事で拝見したところによると、1歳に満たない頃、母親の真似をして指で鍵盤をたたき始めたのだそうです。
  そんな姿に周囲は才能を感じ取られたようです。
  3歳でレッスンを始め、年中組の時、初めてコンクールに出場され、幼稚園児ながら 小学1・2年の部で入賞。
  以来、数々のコンテストで入賞されているわけですが、つい最近では第7回北陸新人 登竜門コンサート<ピアノ部門>にも出場されました。
  これは総応募者28名の中から、ビデオ審査で選ばれた12名が最終審査に臨み、結果3名の若手音楽家が優秀者に選ばれたもの。
  徳永さんの他では、福井県出身の河合美知さん、そして金沢市出身の竹田里琴乃さんがおられました。竹田さんも徳永さんと同じく中学3年生です。
  その新人登竜門コンサートは4月12日(土)に、石川県立音楽堂コンサートホールにおいて、オーケストラ・アンサンブル金沢との共演で披露されたわけですが、招待券を徳永さんのお母さんから頂きましたので、駆けつけさせて頂きました。
  パンフレットを見て分かったことですが、この登竜門コンサートは、もともとは「石川県新人登竜門コンサート」として、1996年から始まったもののようです。毎年、続けられてはいるのですが、年によって「ピアノ部門」、「弦楽器部門」そして「管・打楽器、声楽部門」という順番に選ばれていくようです。それが2002年からは「北陸新人登竜門コンサート」 という形になり、広く北陸で新人を発掘するようになっています。
  ある意味、3年に一度のチャンスであるわけです。
  過去の出演者のお名前を見ていると、2004年の「管・打楽器、声楽部門」では山崎智里さんのお名前があります。弊社の「すずらんの会」などでマリンバの演奏をして頂いている方です。
  今回のコンサートでは、徳永さんはショパンの「ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11」を演奏されました。堂々たる演奏ぶりで会場の絶賛の拍手を浴びておられました。
  とても中学3年生とは思えない姿で、これからのご活躍が楽しみです。

第7弾 (H20年4月5日配信)

【トップエッセイコース7 担当:弊社社長 益永】
件名:滝に打たれる気分の現地審査


  福井県経営品質賞の申請書を提出したのは、昨年の10月19日のことでした。
  その申請書を事前にお読みになった審査員4名の皆さんが、福井のとある会場にお集まりになったのは今年の1月17日(木)のことです。それぞれのお考えをお持ちになられて、内容を協議されたのだと思います。
  その翌日の18日(金)が現地審査でした。弊社の会議室に4名がお越し頂き、弊社からは役員やカテゴリーリーダーら約十数名が集い、様々なご質問をお受けしたわけです。
  朝9時から始まり、審査が終わってからの懇談会も含めて、夕方6時半近くまでかかりました。
  最初は意気揚々とお答えしていた私達ですが、鋭い質問の数々に、時にはたぢたぢとなり、やがて私など背が丸くなっていったかと思います。
  チラッと隣りの席を見ると、同僚の背も丸くなっていました。
  後で事務局の方のお話をお聞きしたところ、審査委員長の方は、「あえて厳しく申し上げた。そうでなければ意味がないでしょう」と仰っておられたそうです。まさにその通りです。
  ただ、その時はそういうことには思いは至らず、ふがいない自分に情けなくなりました。まるで滝に打たれているような気持ちでした。
  私は敗残兵のような気分で現地審査を終え、遅い時間ではありましたが、金沢のお会社さん数社へ向かうため車中の人間になりました。
  一人運転する中で、様々な思いが去来しましたが、ご指摘を受けたことは良かったということ。それでもって、さらに会社を改革することに意味があることを確信しました。
  後日の社内の朝礼でも話したことは、「こういう熟練の審査員のご意見を聞くことは貴重であり、安いコストで最高のコンサルティングを受けているようなもの」ということでした。
  そうです。経営品質向上活動をするということは、社員自らで自社の経営を振り返り、なおかつ解決策を考えるということであり、第三者の客観的な評価を得ることができるということであり、そして顧客満足度アンケートや社員満足度アンケートによって、経営に緊張感を得ることができるということです。
  今回は予期せぬ「優秀賞」を頂くことにはなりましたが、自社の課題に思いをはせる時、浮かれる気分になることは全くありません。
  やがて来る「フィードバックレポート」を吟味して、さらなる改革に挑戦して参りたいと決意しております。

第6弾 (H20年3月20日配信)

【トップエッセイコース6 担当:弊社社長 益永】
件名:第10回産官学・異業種交流会


  今回の講師は小野グループ代表の小野光太郎様でした。
  講師をお受け頂いた後に回りの皆様からよくお聞きしたことは、小野代表はあまり講演はなさらないとのこと。ですから、大変に光栄なことと喜ぶと共に、なんとしても成功させなければという思いも強くなっていきました。
  結果的には講演会には248名、懇親会には161名のご参加を得ることができ、それぞれ過去最高となりました。
  多くの皆様にお集り頂いたのは、何と言っても小野代表のネームバリューであることは間違いありません。
  ご講演は質問時間も含めて1時間半でした。人と人との信頼関係を大事にされてきたことが分かりました。人を見て、信頼できる人にそれぞれの企業任せる。
  逆に言えば、信頼するに足る人間になることが先決と反省させられました。小野代表も受けた信頼に誠心誠意応えてこられたことが、結果的に現在のすごい企業グループを形成されているわけだと思います。
  また、小野代表は「ご恩返し」という言葉も使われました。受けた恩は忘れずに、誠実に返していく。「かつて偉大な人が忘恩であったためしはない」、という言葉を何かで読んだことがありますが、なるほどと思わされました。
  文化を大切にされているのも小野代表です。海外においてビジネスパートナーと重要な関係を築いておられる小野グループさんですが、その基盤には文化や風土の共有があるようです。
  単なる価格の競争ではない、思想・風土の共有があるために、簡単には崩れることのないパートナーシップを築いてこられました。21世紀は文化性を持っていない企業は生き残ることはできない、というのが小野代表のかねてよりの信念ですが、最近では堺屋太一さんも同じことを唱えておられるようです。
  ご講演の後は、黒川 侑さんのバイオリンと福田美穂さんのピアノ演奏もあり、一堂素晴らしい演奏に感嘆させて頂いた次第です。
  ご参加の皆さんには大変にご満足頂けたようで主催者側としましても、これに勝る喜びはありません。
  次回はどうしようかと、これから悩まなければなりません。

第5弾 (H20年3月5日配信)

【トップエッセイコース5 担当:弊社社長 益永】
件名:ブログやメルマガの威力


  私の携帯電話にメールが届いたのはある晩遅く。そのメールは普通は毎日午前中に届くもので、発信者は以前、私が講演を聞いた素晴らしい人柄の方です。内容はいかに問題に前向きに取り組むか、希望と勇気を贈るメッセージとなっています。希望して登録したメンバーに送信しておられるわけです。
  でも、その晩に届いた内容は、なんでも子供の緊急手術のために血液が必要となったという連絡が入ったというのです。ですから血液の型が合っている人は最寄の献血所でご協力をお願いします、ということでした。
  ちょっと不思議だったのは、その血液がどこか特定の病院に必要というわけではなく、いずれ回ってくるから大丈夫、というような記述があったことです。
  そして翌日、発信元から今度はお詫びのメールが送られてきました。昨晩のメールは「チェーンメール」であったこと、そして深くお詫び申し上げます、と。
  実はその日、会社のパソコンに、今度は違う発信先からもメーリングリストによって同じようなメールが来ていたのです。
  それと同時にお詫びのメールも。
  どうやら似たような内容のメールを色々な発信先へ送った人がいるのでしょうか。
  それにしても、善意の人なら簡単に騙されてしまいそうなこういった「チェーンメール」。いたずら気分で偽情報を流す人がいるということです。
  数年前には、本当にこういった情報連絡で役に立ったケースも聞いたことがあります。それは子供さんの病気について情報が欲しがっている人の知人が、ご自分のメーリングリストを使って情報を求めたところ、海外も含めて色んな場所から情報が寄せられたという事実です。
  その時は、人の情けの素晴らしさに感動した方々がおられたわけですが、このように偽情報を流して楽しむ人もいるということです。
  ブログやメルマガで情報発信が簡単にできる時代となりましたが、文明の利器には功罪がつきまとうようです。賢く利用する人にはこの上もなく便利ですが、悪用する人に使われると言葉の暴力ともなり得ます。
  お互いに注意したいものですね。

第4弾 (H20年2月20日配信)

【トップエッセイコース4 担当:弊社社長 益永】
件名:「モーニングセミナー」で講話


  ハガキを出し始めたのは平成4年5月からです。ランチェスタ-経営で有名な竹田陽一さんの著書、『1枚のはがきで売上を伸ばす方法』と『1枚のはがきでお客様を感動させる法』を読んで、1日3枚のはがきを出すことを決意しました。
  以来、多い日、少ない日、多い月、少ない月はありましたが、平均すると目標をはるかに超えるはがきを出してきました。
  そんな中、クオリティマンジメント社のセミナーを受ける機会があり、名前の重要性を学ぶことになりました。それをヒントに自分で考えて始めたのが自称「ひらがな名前入り和歌」。
  相手の名前をひらがなで入れて、しかも意味が通じるものにします。その際、5・7・5・7・7の和歌形式にするのですが、日本人にはこのリズムがしっくりくるようです。
  実際の事例のご紹介ということで、講話日が2月6日(水)の朝6時からでしたから、前日5日の新聞記事から6例をお示しさせて頂きました。福井新聞、日刊県民福井、朝日新聞、そして北國新聞からです。
  まずは相手のお名前をチラシの裏側等に書いて、その言葉に当てはまる言葉が新聞記事にないかを探します。ない場合も結構あるわけですが、そのような時は、違った言葉で言い換えることができないかと考えます。
  そして一つひとつ考えていき、トータルの文章としても一貫した内容となっているかどうかもチェックします。
  そんなことで一つが完成すると、ホッと一息。総務部の女性の机の上に記事のコピーと原稿を置いておけば、後の印刷、宛名書き、切手貼り、そして投函まではやっておいてくれます。
  「ひらがな名前入り和歌」の面白さといえば、まず相手に喜ばれるということ。頭を使いますし、言葉の訓練にもなるかと思っています。相手のことに関心が持て、新聞記事を丹念に読みますから、世の中の事情に少し詳しくなれます。そして大事なことは、相手を褒めることができること。面と向かっては言えないような言葉でも、堂々と使うことができます。
  そんなことで、昨年の夏頃、社員から「社長も本を出したら?」という提案が社内から起こり始め、やがて本気になってしまった私。
  昨年末までの3ヶ月間で一気に仕上げ、無事、今年の1月末近辺に出版することができました。
  出そうと思い立ってからわずか4ヶ月。本を手にして感慨深いものがある今日この頃です。

第3弾 (H20年2月5日配信)

【トップエッセイコース3 担当:弊社社長 益永】
件名:『「ひらがな」な社長の毎日。』


  紀伊國屋書店へ行って新刊本コーナーで探すのですが『「ひらがな」な社長の毎日。』が見当たりません。
  端末をたたいて調べると、マンガコーナーに置いてあるとの表示が出ました。早速、そのコーナーへと急ぎますとありました、ありました。
  一応、平積みとなっていて、私の本は『ホームレス中学生』のマンガ版の隣りに置いてありました!
  う~ん。『ホームレス中学生』マンガ版を買う人が、ついでに買ってくれるかな?どうかな?と考えてみたのですが、いずれにしてもちょっと滑稽で笑ってしまいました。
  いっそのこと「ホームレス中年」というタイトルにした方が売れるのかも、などとバカなことを考えながら、書店を後にしました。
  ㈱エーアンドエスさんとご相談したところ、その後、話が先方さんに行ったみたいで、書籍は新刊本コーナーに置かれるようになりました。
  今回のように出版に関わりますと、やたら新聞の書籍の宣伝に目が行ったり、何刷とか増刷とか書いてあったり、何万部販売とか書いてあると興味津々になってしまいます。
  これだけ毎日、毎日、新しい本が出て、そして次々と消え去っていくわけです。ある大手出版会社の場合、1月に数千部の発行があるとか聞きました。
  そして売れなかった本は版元へ逆流して、裁断されることになるのでしょうか。
  そう考えると、かなりもったいないことをしているような気もしますが、同じことは食料についても言えること。
  大量生産、大量廃棄の経済原理は出版業界でも言えそうです。私もまた、廃棄されるような本を作ってしまったのかもしれませんが(笑)。

第2弾 (H20年1月20日配信)

【トップエッセイコース2 担当:弊社社長 益永】
件名:『「ひらがな」な社長の毎日。』


  最初は自分が本を出すなんて信じられませんでした。
  『地方新時代の企業戦略Ⅴ』では、大学の先生との対談という形式で登場させて頂いたことはあります。
  でも、自分独自の本というのは新鮮な感覚でした。
  一昨年の11月に会社の監修で『ゼロから始めるFX』を幻冬舎ルネッサンスから出版しました。お陰様で好評で4刷となっており、東京、大阪、あるいは福岡などからお問い合わせを頂いています。
  幻冬舎ルネッサンスさんは幻冬舎の子会社で、自費出版を手掛けておられます。自費出版は最近はブームとなっているようですが、同時に悪質な業者が著者から訴えられるというケースや、業者が経営破綻してしまうケースも見受けられます。
  そういう中で幻冬舎ルネッサンスさんは、質の高さを追求され、必ず書店に並ぶ体制も整えれおられるようです。
  事実、東京の八重洲ブックセンターや紀伊國屋書店新宿本店などに寄った際、私どもの本が面だしや平積みで置いてあるのを発見することは最高の喜びでした。
  そういうこともあって、社内から「社長も出したら」という声が起こってきたのです。題材は私が日頃出している「ひらがな名前入り和歌」です。
  相手の名前をひがらなで入れて、5・7・5・7・7の和歌として作るもので、もう7年半近く実践しています。これまでに出させて頂いたハガキの数は13,000枚を超えました。
  ただ、ハガキだけ載せても面白くありませんから、地元の出版会社・㈱エーアンドエスさんのご提案で、マンガとコラム形式で、私のこれまでの人生における失敗やエピソードをご紹介することと
しました。
  マンガですから読みやすいので、若い人達にも気軽に親しんで頂けるのではないかと思います。
  首都圏には1月下旬に、福井のような地方では1月末近辺に書店に並ぶようです。
  ご一読頂ければ望外の喜びです。どうか宜しくお願い申し上げます。

第1弾 (H20年1月5日配信)

【トップエッセイコース1 担当:弊社社長 益永】
件名:「東尋坊 命の灯台」茂 幸雄さん


  茂 幸雄さんは警察官としての最後の一年間を、三国警察署で務めあげられました。42年間の奉職の内の集大成であったわけです。
  その勤務地で茂さんが痛感されたことは、東尋坊における自殺者がいかに多いかであったそうです。
  過去30年間で634名が自殺しているのだそうです。しかも1.4kmの内、だいたい3ヶ所に絞られるのだとか。
  ここ10年間では254名が自殺しており、年間平均25.4名。自殺者の8割が県外で、残りが県内。そういう事実を知った茂さんは、何にも対策が講じられていない現実に、「なぜ黙っているのか」と怒りを覚えたのだそうです。
  声を上げなければと思った茂さんは、定年後にあった再就職の誘いを断わって、自殺を水際で防止する活動を始められたのです。
  それがNPO法人「心に響く文集・編集局」であり、茂さんはその代表を務めておられます。
  ところで、日本で一番自殺者が多かったのは秋田県だったのですが、県が自殺防止に取り組んでからは4割減少したのだそうです。
  また、世界一の自殺の名所はカリフォルニアにあるゴールデン・ブリッジで、自殺者の数は年間25名なのだそうですが、東尋坊はそれをも上回っているようです。
  茂さんは、自殺の名所を巡回する中で、この3年8ヶ月で126名もの方々と岩場で遭遇し、説得によって再出発をしてもらっているのだそうです。
   そういう活動はご著書『東尋坊 命の灯台』(太陽出版)に詳しいようで、私も一冊購入させて頂きました。
  茂さんは「本当はみんな生きたいんや」と語っておられます。本で紹介される様々な人々との実話は胸を打ち、心が辛くなります。
  尊い活動をされている茂さんです。